出典 |
フットノート |
マルコ 3:1 注1 |
1節から6節(1―6節)については、マタイ第12章9節から14節(マタイ12:9―14)のノートを参照。 |
マルコ 3:4 注2 |
文字どおりには、魂。 |
マルコ 3:4 注1 |
これは、奴隷―救い主が解放者であって、苦しんでいる者を宗教的儀式の束縛から解き放されることを示しています。 |
マルコ 3:5 注1 |
救い主は反対者たちに対して怒りを発し、彼らがかたくなであることを深く悲しまれました。しかし病人に対しては同情し、なえた肢体を回復されました。彼の怒りと悲しみは、彼の人性の真実さの表現と考えられるでしょう。彼の同情といやしは、彼の人性の美徳と彼の神聖な力が合わさったものです。これらは、人に対して同時に現されました。こうして、彼の神性は彼の人性において、再び人の前で表現されたのです。第10章14節(10:14)のノート1を参照。 |
マルコ 3:5 注2 |
第1章31節(1:31)のノート1を参照。なえた手の回復は、奴隷―救い主の神性の力を示しました。 |
マルコ 3:6 注1 |
第2章6節(2:6)のノート1を参照。 |
マルコ 3:9 注1 |
奴隷―救い主は、群衆が押し迫るのを避けるために、まず海を必要とし(7節)、次に小舟を必要とされました。これは、彼に押し迫る群衆が、彼の福音の奉仕に対する妨害であったことを示しています。 |
マルコ 3:10 注1 |
第1章31節(1:31)のノート1を参照。 |
マルコ 3:10 注2 |
文字どおりには、むち。苦悩と災害を象徴しています。 |
マルコ 3:10 注3 |
文字どおりには、倒れかかった。 |