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出典

フットノート

マルコ 9:50 注1 マタイ第5章13節(マタイ5:13)のノート2を参照。ここの言葉の適用は、マタイによる福音書第5章13節(マタイ5:13)やルカによる福音書第14章34節(ルカ14:34)のものとは異なります。マタイとルカで、塩はこの世に対して信者たちが及ぼす影響を描写します。塩は腐敗した世を塩づけるためです。ここの塩は、浄化する火と同意語であって、罪を犯す信者たちに塩味をつけるためです。それは、神の懲罰がこの時代に、罪を犯す信者たちのためにあるのと同じです。ですから、信者たちは自分の中に塩を持つべきです。それは、彼らが罪からきよめられるためだけではなく、いかなる分裂的要因(性急なヨハネが意見を異にする兄弟を禁じたり、偉大さについて議論することで持っていたような)からもきよめられて、互いに平和であるためです。そのような浄化する塩は、信者たちの言葉を浄化します。それは、彼らが互いに平和を保つためです(コロサイ4:6)。ここの主の言葉は、意見を異にした兄弟に対するヨハネの言葉が、きよめられていなかったことを示します。こうして、38節から50節(38―50節)の区分全体は、信者たちの一致のための寛容に関する、奴隷―救い主の教えを提示します。
マルコ 9:50 注2 マタイ第5章13節(マタイ5:13)のノート3を参照。
マルコ 10:1 注1 奴隷―救い主は、卑しめられたガリラヤの地で(参照,1:14のノート1の第二段落)三年余り、彼の福音の奉仕において務めを行なわれました。そこは、聖なる宮と聖なる都、すなわち、彼が神の永遠のご計画の完成のために死ななければならなかった地から、遠く離れていました。彼は神の小羊として(ヨハネ1:29)、モリヤの山で神にささげられるはずでした。モリヤの山は、アブラハムがイサクをささげ、イサクの身代わりとして神の備えられた小羊を享受した場所であり(創22:2,9―14)、またエルサレムで宮が建てられた場所です(歴代下3:1)。神たる方の三一によって決定された計画にしたがって(使徒2:23)、彼がユダヤ人指導者たちに引き渡され(9:3110:33)、神の家を建てる者であるユダヤ人に捨てられるのは(8:31使徒4:11)、このモリヤの山でなければなりませんでした。彼がローマ人の死刑によって十字架につけられ(ヨハネ18:31―32とノート.19:6,14―15)、どんな死に方で死なれるかについての予表を成就するのも(民21:8―9ヨハネ3:14)、その場所でなければなりませんでした。また、ダニエルの預言によれば(ダニエル9:24―26)、メシヤ(キリスト)が断たれる(殺される)ことになっていたのは、まさにその年でした。さらに、過越の小羊として(Iコリント5:7)、彼は過越の月に殺されなければなりませんでした(出12:1―11)。ですから、彼は過越の前に(ヨハネ12:1マルコ14:1)、エルサレムに行かなければなりませんでした(33節11:1,11,15,27ヨハネ12:12)。それは、神があらかじめ定められた場所と時、すなわちエルサレムで過越の日に、彼が死ぬためでした(14:12―17ヨハネ18:28)。
マルコ 10:1 注2 第1章21節(1:21)のノート2を参照。
マルコ 10:2 注3 文字どおりには、解放する。続く節も同じ。
マルコ 10:2 注1 2節から12節(2―12節)については、マタイ第19章3節から9節(マタイ19:3―9)のノートを参照。
マルコ 10:2 注2 第2章6節(2:6)のノート1を参照。
マルコ 10:7 注1 幾つかの写本は、その妻に結び合わされる、を省いています。
マルコ 10:8 注1 文字どおりには、一つ肉体。
マルコ 10:8 注1 文字どおりには、一つ肉体。
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