出典 |
フットノート |
マルコ 11:12 注1 |
12節から14節(12―14節)については、マタイ第21章18節から19節(マタイ21:18―19)のノートを参照。 |
マルコ 11:14 注2 |
文字どおりには、永遠まで。 |
マルコ 11:14 注1 |
12節から26節(12―26節)のこの区分では、奴隷―救い主のいちじくをのろうことと、彼が宮を清めることは、一つにされています。これは、腐敗し反逆するイスラエルの国のさまざまな面を、彼が一度に取り扱われることを示しています。いちじくの木はイスラエルの国の象徴であり(エレミヤ24:2,5,8)、宮はイスラエルと神との関係における中心でした。神によって植えられたいちじくの木として、イスラエルは神のために実を結びませんでした。また神との関係の中心としての宮は、腐敗で満ちていました。ですから、奴隷―救い主は、その実のないいちじくの木をのろい、汚された宮を清められたのです。そのような取り扱いは、第12章9節(12:9)と第13章2節(13:2)で予告されている破壊の前触れと考えられます。 |
マルコ 11:15 注1 |
第1章14節から第10章52節で述べられている、ガリラヤにおける福音の拡大のための奴隷―救い主の務めにおいて、彼の働きは、福音を宣べ伝え、真理を教え、悪鬼どもを追い出し、病人をいやすことでした。その働きにおいて、彼の神聖な特質を伴った人の美徳は、神のために罪人に与えられた神聖な奉仕のための資格として、またその奉仕の中の麗しさとして、現されました。エルサレムでの、奴隷―救い主の贖いの働きのための準備において(11:15―14:42)、彼の主要な働きは、反対するユダヤ人指導者たちと対決することでした。彼らは神の建物を建てる者たちであると考えられていたのに(12:9―10)、実際には神の敵サタンによって横領され、そそのかされて、奴隷―救い主を殺そうとたくらんだのです。この対決では、彼らのこうかつで邪悪な質問、テスト、試みの下で、彼の人性の尊厳が、彼の人性の真の中で表現され(15―18節)、彼の神聖な知恵と権威が、彼の人性の振る舞いと完全さの中で表現されました(11:27―12:37)。ユダヤ人は、彼に何か間違いを見いだそうとしたのですが、結局、彼の資格を証明することになりました。これは、彼がこれらの盲目な反対者たちに対して、ご自分、すなわちキリスト、ダビデの子がダビデの主であり、神ご自身であることを示す道を舗装しました(12:35―37)。それは、彼らが彼の人性の中の神性、すなわち、彼が人の中に生きておられる神であることを、知るためでした。 |
マルコ 11:17 注1 |
第1章21節(1:21)のノート2を参照。 |
マルコ 11:18 注1 |
第2章6節(2:6)のノート1を参照。27節(27節)も同じ。 |
マルコ 11:25 注2 |
人の違犯のゆえの。 |
マルコ 11:25 注1 |
人の違犯を赦すことは、わたしたちの天の父がわたしたちを赦される根拠です。これは特に、わたしたちの祈りの時にそうです。わたしたちはだれかに何か恨み事を持って、すなわち、だれかにつまずいたと感じたり、他の人の間違いを忘れられないような心では、祈ることができません。 |
マルコ 11:26 注1 |
幾つかの写本は、この節を省いています。 |
マルコ 11:33 注2 |
マタイ第21章27節(マタイ21:27)のノート2を参照。 |