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出典

フットノート

マルコ 16:7 注1 奴隷―救い主の復活を発見した三人の姉妹たちに対する御使いのメッセージの中の、「とペテロに」という句は、マルコの記録にだけ挿入されています。これはおそらく、この福音書の内容に対するペテロの影響によるものでしょう。とにかく、この句は、ペテロの奴隷―救い主に対する親密な関係が特別であったことを示し、それが御使いによっても強調されたのです。
マルコ 16:9 注2 第1章23節(1:23)のノート1を参照。17節(17節)も同じ。
マルコ 16:9 注1 多くの古い写本は、9節から20節(9―20節)を省いています。
マルコ 16:15 注1 第1章14節(1:14)のノート2を参照。
マルコ 16:15 注2 これは、奴隷―救い主が自らの死と復活を通して完成した神の贖いが、神の創造における主要なもの、すなわち人のためだけでなく、すべての造られたもののためでもあることを啓示しています。ですから、地上のものであれ、天にあるものであれ、万物は神に和解されました。そして福音は、天の下の全被造物に(の中で)告げ知らされるべきです(コロサイ1:20,23)。これに基づいて、全被造物は堕落の奴隷状態から解放され、神の子たちの栄光の自由の中に入ることを待ち望んでいます(ローマ8:19―22)。
マルコ 16:16 注2 ここの節は、「信じないでバプテスマされない者」とは言っていません。これは、罪定めは信じないこととだけ関係があって、バプテスマされないこととは関係がないことを示しています。信じることだけで、人が罪定めから救いを受けるのに十分です。しかし、人の内なる救いの完成のために、信じることは、外側の確証としてのバプテスマを必要とします。
マルコ 16:16 注1 信じること(参照,1:15のノート3)は、奴隷―救い主を受け入れることであり(ヨハネ1:12)、これは罪の赦しのためだけでなく(使徒10:43)、再生のためでもあります(Iペテロ1:21,23)。信じた者たちは、三一の神との有機的な結合の中で(マタイ28:19)、神の子供たち(ヨハネ1:12―13)、キリストの肢体となります(エペソ5:30)。バプテスマされることは、奴隷―救い主の死を通して葬られ、旧創造を終わらせることによって、また、奴隷―救い主の復活を通して復活させられ、神の新創造となることによって、これを確認することです。そのようなバプテスマは、ヨハネによる悔い改めのバプテスマよりはるかに進んでいます(1:4使徒19:3―5)。信じることとバプテスマされることは、神の全き救いを受けるための、一つの完全な段階の二つの部分です。信じないでバプテスマされることは、単にむなしい儀式にすぎません。また信じてもバプテスマされないなら、内側で救われるだけで、外側の確証がありません。これら二つは並行すべきです。さらに、水のバプテスマには、霊のバプテスマが伴うべきです。それは、イスラエルの子たちが、海(水)の中と雲(その霊)の中でバプテスマされたようにです(Iコリント10:212:13)。
マルコ 16:17 注1 新しい言葉を語ることは、救われた信者に伴う五つのしるしの一つにすぎません。ある信者たちは、これをクリスチャンに不可欠なしるしとして強調しましたが、これは間違っています。使徒行伝と各書簡における神聖な啓示によれば、主がここで言われた事は、救われた信者がみな五つのしるしをすべて持つべきであることを意味しているのではありません。それは、救われた信者各自がこれらのしるしの幾つかを持つとしても、必ずしも全部ではないことを意味します。
マルコ 16:19 注1 神によって高く上げられる奴隷―救い主の昇天は、神の新約エコノミーによる神の永遠のご計画のために奴隷―救い主が行なわれたすべてを、神が受け入れられたことのしるしでした(使徒2:33―36)。この高く上げられることにおいて、神は、彼に栄光と誉れの冠と(ヘブル2:9)、あらゆる名にまさる名を彼に与え(ピリピ2:9)、彼を万物の主(使徒2:36)、万物の上のかしら(エペソ1:22)とされました。それは、彼が天においても地においてもいっさいの権威を持って(マタイ28:18)、天、地、諸国民を支配するためであり、こうして彼らが共に働いて、奴隷―救い主の福音の奉仕を全世界へ拡大することができるためです。
マルコ 16:20 注1 第1章14節(1:14)のノート2を参照。復活し昇天した奴隷―救い主、神の奴隷は、歴代にわたって、彼の信者たちを通して、エルサレムから始まり、地の果てにまで(使徒1:8)、神の福音の宣べ伝えを、継続的に、全世界的に、全被造物に進めてこられました(15節)。この福音は、彼が地上に神の王国を設立するために来られる時まで、前進し続けるでしょう(ルカ19:12ダニエル7:13―14)。
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