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出典

フットノート

ルカ 1:3 注1 初期の召会は、ルカを、この福音書と使徒行伝の筆者と認めていました。これら二つの書がルカの著作であることは、両書の文章のスタイルから明らかです。ルカは異邦人であり(コロサイ4:14.参照,コロサイ4:11)、おそらくアジアのギリシャ人で、医者でした(コロサイ4:14)。彼はパウロの務めにトロアスから参加し、パウロの最後の三つの務めの旅行に同行しました(使徒16:10―1720:5―21:1827:1―28:15)。ルカは、パウロの殉教に至るまで、彼の忠信な同伴者でした(ピレモン1:24IIテモテ4:11)。ですから、彼の福音書は、当然パウロの見解を代表します。それは、マルコによる福音書が、ペテロの見解を代表しているのと同じです(参照,マルコ1:1のノート1の第一段落)。
 ルカ、マタイ、マルコによる各福音書は、救い主の人性について書いており、共観福音書と呼ばれています(参照,マルコ1:1のノート1の第二段落)。ルカによる福音書は、堕落した人類に対する神の救いの恵みにおける、人と共にいた神を啓示します。その目的は、真の、正常な、完全な人としての救い主を提示することです。ルカによる福音書は、イエスの両親から人類の第一代目、アダムへとさかのぼって記されている人イエスの完全な系図を与えます。それは、彼が真に人の子孫であること、すなわち、真に人の子であることを見せています(参照,マタイ1:1のノート1の第二段落と第三段落)。この人の生涯の記録は、彼の人性に欠けるところがなく、それが完全であったことをわたしたちに印象づけます。ですから、この福音書は、人―救い主としての主を強調します。この福音書は、すべての人に適用する道徳的原則に基づいており、福音のメッセージを、第4章16節から21節(4:16―21)、第7章41節から43節(7:41―43)、第12章14節から21節(12:14―21)、第13章2節から5節(13:2―5)で、福音のたとえ話を、第10章30節から37節(10:30―37)、第14章16節から24節(14:16―24)、第15章3節から32節(15:3―32)、第18章9節から14節(18:9―14)で、福音の事例を、第7章36節から50節(7:36―50)、第13章10節から17節(13:10―17)、第16章19節から31節(16:19―31)、第19章1節から10節(19:1―10)、第23章39節から43節(23:39―43)で提示しています。これらは、他の福音書には記録されていません。ルカは、マタイが強調しているように時代に関すること、あるいはユダヤ的背景を強調していません。これは、一般の人類に対して書かれた福音書であって、すべての民に良きおとずれを伝えます(2:10)。その特徴は、それが絶対にユダヤ的ではなく、異邦人的であることです(4:25―28)。これはすべての罪人、すなわちユダヤ人と異邦人の両方に与えられた福音書です。ですから、この記録の順序は、歴史によってではなく、道徳にしたがっています。マタイ第8章16節(マタイ8:16)のノート1の第二段落と、マルコ第14章20節(マルコ14:20)のノート1を参照。
ルカ 1:5 注1 これは、ダビデによって定められた二十四組の祭司の奉仕の、第八番目の組でした(歴代上24:10)。
ルカ 1:6 注2 これは、ローマ人への手紙第3章20節(ローマ3:20)と矛盾していません。ここでは彼らに間違いのないこと、すなわち旧約の戒めと規定にしたがって、神の目に責められるところがないことを意味します(2:25ピリピ3:6)。それは、これらの義しい人たちが罪人ではなかったと言っているのではありません。すなわち、彼らに単数形の罪と複数形の罪がなかったことを意味するのではありません。彼らには責められるところがありませんでしたが、しみのない者ではありませんでした。彼らが神と接触を持つためには、なだめのために、予表の中の、しみも傷もない罪のためのささげ物と違犯のためのささげ物(レビ4:285:15)を、なおも必要としました。
ルカ 1:6 注3 すなわち、それにしたがって生きており。
ルカ 1:6 注1 彼らは神の選びの民であり、旧約の律法の後見の中で守られ、そして律法によって生み出され、神に用いられて新約の福音を開始した人たちでした。
ルカ 1:6 注4 旧約の律法は、一般的に「律法」と呼ばれています。その内容は、戒めと定めと規定の三つの部類に分けられます。神の基本的な命令である戒めは、律法の一般的な原則です。十戒があります(出20:2―17)。定め、あるいは律法、規制は、出エジプト記第20章22節から26節(出20:22―26)に記録されているように、戒めを明らかにし、詳細に説明し、補います。規定は定めのように、戒めを明らかにし、詳細にわたって説明し、補いますが、出エジプト記第21章1節から第23章19節に記録されているように、判決を含みます。規定から判決を除くと、定めになります。ここの「規定」のギリシャ語は、ローマ人への手紙第2章26節(ローマ2:26)とヘブル人への手紙第9章1節(ヘブル9:1)、10節(ヘブル9:10)と同じ言葉です。
ルカ 1:7 注1 これは主の主権でした。このことは、人の天然の力によってではなく、神の神聖な働きによって、神の福音を開始する機会を神に与えました。
ルカ 1:9 注1 聖所の中の香壇の上で(11節出30:6―8サムエル上2:28歴代上23:13歴代下29:11)。
ルカ 1:10 注1 神の民の祈りは、神がそのご計画を遂行される道を神に与えます。
ルカ 1:13 注1 これは、ザカリヤが、妻が男の子を産むように祈ったことを示します。これはまた、わたしたちの祈りが、神の活動を遂行することを示します。そして、神の活動が彼の神聖な行動によって始まるためには、わたしたちの天然の力が終わらせられなければならないことを、暗示しています。このことは、アブラハムとサラ(創17:15―19)、またハンナに起こったこと(サムエル上1:5―20)でも示されました。
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