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出典

フットノート

ルカ 1:27 注1 処女マリヤは、何の名声もない地域のさげすまれた町で生活していましたが、彼女はダビデ王の王族の子孫でした(31―32節.マタイ1:16のノート1と2)。
ルカ 1:28 注1 幾つかの写本は、あなたは女たちの間で祝福されています、を加えています。
ルカ 1:31 注1 マタイ第1章21節(マタイ1:21)のノート1を参照。
ルカ 1:32 注2 聖霊から胎内に身ごもり、人の処女から生まれたイエスは、いと高き神の子です。それと同時に、彼は王ダビデという高い位の人の子です(マタイ1:122:45)。彼の身分は神性と人性の両方です。
ルカ 1:32 注1 至高者(神―創14:18)を意味する神聖な称号。ですから、ギリシャ語ではここに冠詞はありません。イエスはいと高き神、至高者である神の子ですから、大いなる者です。
ルカ 1:33 注2 前の節はイエスの家系を示し、この節は彼の王国を示します。
ルカ 1:33 注1 イエスはヤコブの家、すなわちイスラエルの国を彼の支配の中心とされます(使徒1:615:16)。彼はこれを通して、全世界を彼の王国として支配されます(啓11:15)。それはまず千年期に(啓20:4,6)、次に新天新地で、永遠にわたってです(啓22:3,5)。
ルカ 1:35 注2 変貌の山で(マタイ17:5)、また幕屋の上で(出40:34,38)、雲が覆ったように。この節によれば、聖霊は、マリヤに聖なる子供を身ごもらせる力として、彼女の上に臨んだだけのように見えます。ところが、マタイによる福音書第1章18節(マタイ1:18)と20節(マタイ1:20)は、「マリヤは・・・・聖霊から身ごもっていることが見いだされた」、「彼女の中に生まれたのは、聖霊からです」と告げています。これは、マリヤがその子イエスを産む前に、聖霊からの神聖な本質が、彼女の体内に生まれたことを示します。人の処女における、聖霊からのそのような受胎は、神聖な本質と人の本質の両方をもって達成され、神聖な性質と人の性質との混ざり合いを構成します。この受胎は、第三の性質を生み出すことなく、神聖な性質と人の性質を持っている、全体的な神であり完全な人でもある方、神・人を生み出しました。これが、エホバ救い主、イエスの最高にすばらしい、卓越したパースンです。
 バプテスマのヨハネの受胎と、救い主イエスの受胎とでは、その本質において著しい違いがありました。バプテスマのヨハネの受胎は、年を取った人の本質によって成就された神の奇跡でした。そこには神聖な本質はなく、ただ神聖な力だけで行なわれたものであり、彼は単なる人で、神の霊で満たされてはいましたが(15節)、神の性質は持っていませんでした。ところが、救い主の受胎は神の受肉であり(ヨハネ1:14)、神聖な力によるだけでなく、神聖な本質が人の本質に加えられたものから構成されており、神性と人性の二つの性質を持つ神・人を生み出したのです。受胎を通して、神はご自身を人性に結合されました。それは、彼が肉体において現され(Iテモテ3:16)、人―救い主となるためでした(2:11)。
ルカ 1:35 注1 15節(15節)のノート2を参照。
ルカ 1:35 注3 その受胎が聖霊からであったように、この受胎から生まれたものは聖なる者、本質的に聖でした。これが、わたしたちの救い主イエスです。
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