出典 |
フットノート |
ルカ 1:46 注1 |
マリヤの詩的な賛美は、旧約からの多くの引用から成っていました。それは、彼女が救い主の受肉の経路となるよう資格づけられた敬虔な女であったこと、また、イエスが神の聖なる言の知識と愛で満たされていた家族の中で、成長することを示しています。 |
ルカ 1:46 注2 |
マリヤの賛美は主を大きく表現しました。それは、彼女が救い主としての神を、彼の永遠のあわれみを通して経験したことと(47―50節)、他の人が経験した神のあわれみ深く、信実なみわざを、彼女が見たこと(51―55節)に基づいていました。彼女の賛美は、その内容と水準が、旧約の詩篇のようでした。ところが、マリヤはキリストについては何も言いませんでした。それは、エリサベツが彼女の祝福の中で(41―43節)、またザカリヤが預言の中で(67―71,76―79節)、聖霊を通して語ったのとは異なります。 |
ルカ 1:47 注1 |
まずマリヤの霊は、神の中で歓喜しました。次に彼女の魂は、主を大きく表現しました。神に対する彼女の賛美は、彼女の霊から生じ、彼女の魂を通して表現されました。彼女の霊は、彼女の救い主なる神の中で喜びに満たされ、彼女の魂は、その喜びを現し、主を大きく表現しました。彼女は、自分の霊の中で生き、行動しました。この彼女の霊は、彼女の魂を導きました。神の中での彼女の霊の歓喜は、救い主である神を、彼女が享受していることに基づいていました。そして彼女の魂の中で主を大きく表現することは、エホバ、偉大なるあってある方である主を、彼女が高く上げていることに基づいていました。 |
ルカ 1:49 注1 |
あるいは、力強い。 |
ルカ 1:50 注1 |
マリヤとザカリヤは、いずれも神のあわれみを強調しました(54,58,72,78節.参照,ヘブル4:16のノート2,テトス3:5のノート2)。また彼らの卑しい身分を認め(48節)、へりくだり(52節)、自分たちが神の恵みを受けるに値しないことを認識しました。 |
ルカ 1:55 注1 |
ご自身の言葉を守ることにおける神の信実を言っています。マリヤとザカリヤはいずれも、神のあわれみだけでなく(参照,50節のノート1)、彼の信実も強調しました(70,72節と72節のノート2)。神のあわれみは彼らの状態を顧み、彼の信実はご自分の立場を顧みられました。こうして彼は、恵み深い行為をもって彼らを愛することができたのです。 |
ルカ 1:64 注1 |
20節(20節)のノート1を参照。 |
ルカ 1:65 注1 |
文字どおりには、言葉。 |
ルカ 1:67 注1 |
原文は、プレソー(pletho)。 |
ルカ 1:68 注1 |
ザカリヤの預言は、神の民を救いへと至らせる神の贖いの動きに関するもので、神の聖なる契約にしたがって、神の豊かなあわれみを通して、キリストを起こすことによって達成されました。人性においては、キリストはダビデの家の救いの角であり、神性においては、キリストは高き所から昇る太陽です(68―73,76―79節)。神であり人である方と、人―救い主の救いのみわざについて、ザカリヤの預言は、エリサベツの祝福よりもさらに多くの光をもたらします。しかしそれは依然として、マリヤの賛美とエリサベツの祝福のように、旧約独特のスタイルと特色の中で、旧約的な色彩を帯びています。 |