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出典
フットノート
ルカ 4:33 注1
マルコ第1章23節(
マルコ1:23
)のノート1を参照。
ルカ 4:34 注1
怒り、あるいは幻滅を表現する感嘆詞。ギリシャ語は、「わたしたちに構わないでください」と訳すこともできます。
ルカ 4:34 注2
文字どおりには、わたしたちに、またあなたに何ですか?(ヘブル語の慣用句)。
ルカ 4:36 注1
マルコ第1章27節(
マルコ1:27
)のノート1を参照。
ルカ 4:37 注1
あるいは、声。
ルカ 4:38 注1
38節から41節(
38―41節
)、第5章12節から14節(
5:12―14
)、第7章1節から10節(
7:1―10
)で、出来事の話の順序は道徳の順序にしたがっており、マタイ第8章2節から16節(
マタイ8:2―16
)とマルコ第1章29節から第2章1節(
マルコ1:29
、
2:1
)の順序とは異なっています。マタイ第8章16節(
マタイ8:16
)のノート1の第二段落を参照。
ルカ 4:38 注3
マルコ第1章30節(
マルコ1:30
)のノート1と31節(
マルコ1:31
)のノート1を参照。
ルカ 4:38 注2
文字どおりには、拘束されて。
ルカ 4:43 注2
神の王国は、命の種としての救い主が(参照,17:21のノート1)、彼の信者たち、神の選びの民の中へまかれ(
マルコ4:3
,
26
)、それが一つの領域へ、すなわち、神が彼の王国としての彼の神聖な命の中で支配することができる領域へ、発展することです。王国への入り口は、再生であり(
ヨハネ3:5
)、王国の発展は、神聖な命における信者たちの成長です(
IIペテロ1:3―11
)。王国は今日の召会生活です。忠信な信者たちはその中で生活し(
ローマ14:17
)、発展して来たるべき王国へと至るでしょう。それは、千年期に勝利を得た聖徒たちが(
啓20:4
,
6
)受け継ぐ褒賞です(
ガラテヤ5:21
.
エペソ5:5
)。最終的に、神の王国は新エルサレムにおいて完成します。新エルサレムは神の永遠の王国であり、神の永遠の命の永遠の祝福の永遠の領域です。神に贖われたすべての人は、この永遠の命を新天新地において永遠に享受します―啓示録第21章1節から4節(
啓21:1―4
)、第22章1節から5節(
啓22:1―5
)、14節(
啓22:14
)(参照,マルコ1:15のノート1、マルコ4:3のノート1と2、4:26のノート1と3)。そのような王国、神の王国を、救い主はここで福音、良きおとずれとして、神の命から遠ざかっていた者たちに、告げ知らせられたのです(
エペソ4:18
)。
ルカ 4:43 注1
ギリシャ語は、「良きおとずれを告げ知らせる」、「喜ばしいおとずれを告げる(もたらす)」、「(福音を)宣べ伝える」を意味します。ですから、神の王国の福音を告げ知らせることは、神の王国を福音として、良きおとずれとして宣べ伝えることです。
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