出典 |
フットノート |
ルカ 9:54 注1 |
ヤコブとヨハネは「雷の子」と呼ばれており、彼らの性急さを示していました(マルコ3:17とノート1)。ここでの彼らの性急な言葉は、彼らが従っていた救い主の美徳や道徳に反しました(参照,マルコ9:38のノート1)。 |
ルカ 9:55 注1 |
最も古い写本は、そして言われた・・・・わかっていない、を省いています。 |
ルカ 9:55 注2 |
「あなたがたは自分がどのような霊であるか、わかっていない」という言葉は、人―救い主の高い道徳性を示しますが、ルカによる福音書にだけあるものです。 |
ルカ 9:56 注1 |
最も古い写本は、人の子が来たのは・・・・救うためである、を省いています。 |
ルカ 9:56 注2 |
文字どおりには、魂。 |
ルカ 9:57 注1 |
彼は聖書学者の一人で(マタイ8:19)、楽な暮らしをしていました。彼は群衆が救い主に引き付けられているのを見て(マタイ8:18)、代価を考えずに好奇心から従おうとしました(参照,マタイ8:19のノート1)。ですから、救い主は彼に警告し、群衆が彼に引き付けられてはいるが、彼には安息する場所もないことを指摘して、彼に従うと、相当な苦難の代価を払うようになることを示されました。 |
ルカ 9:58 注1 |
救い主の人としての生活は、苦難の生活でした。彼の誕生では、宿屋に彼が横たわることのできる部屋がありませんでした(2:7)。彼の驚くべき務めにおいても、彼には安息する場所がありませんでした。苦難は彼の人としての生活のしるしです(2:12)。 |
ルカ 9:59 注1 |
この者は、救い主に従うようにと、彼によって召されました。しかし、この者は、自分の死んだ父に対する義務を考えたので、直ちに従おうとはしませんでした。ですから救い主は、彼に代価を払うように励まされました(参照,マタイ8:21のノート1)。それは、彼が神の王国を宣べ伝えるという、主の偉大な任務に従う者となるためでした。 |
ルカ 9:60 注1 |
葬る者は、霊的に死んでおり(ヨハネ5:25.エペソ2:1)、葬られる者は、肉体的に死んでいました。そのような葬りをすることは、死んだ働きをすることでした。 |
ルカ 9:60 注2 |
神の王国を宣べ伝えることは、命の行為であり、死んでいるものを生かす行為です。彼らは命を得ることによって、神の王国に入ることができます。 |