出典 |
フットノート |
ルカ 10:37 注1 |
あるいは、彼をあわれみ深く取り扱った者です。自分を義としたその人は、彼が愛する隣人ではなく、彼を愛してくれる隣人、愛の隣人(人―救い主を象徴する良きサマリヤ人のような)が必要であることを、知るのを助けられました。救い主はこの物語を通して、彼に次のことを見せようとされました。(1) 彼は律法の下の罪定めによって死に定められており、自分自身を顧みることもできず、他の人を愛するなどなおさらできない。(2) 人―救い主は彼を愛して、彼に全き救いを与えようとしておられる方である。 |
ルカ 10:38 注1 |
ベタニヤ(ヨハネ12:1のノート1.マルコ11:1.マタイ21:17とノート1)。 |
ルカ 10:38 注2 |
おそらくアラム語からで、「彼女は反逆的であった」を意味します。 |
ルカ 10:39 注1 |
ギリシャ語の「マリヤ」は、ヘブル語の「ミリアム」に当たり、「彼女たちの反逆」を意味します(民12:1,10―15)。「マルタ」と「マリヤ」の名前の意味は反逆の意向を伝え、おそらくマルタとマリヤの天然の命を示しているのでしょう。この物語に描写されているように、主の救いは反逆的な者を造り変え、従順な者にすることができます。旧約で反逆的であったミリアムのような者も、新約では従順なマリヤのような者になります。 |
ルカ 10:40 注1 |
「さまざまな方向に振り回されていた」を意味します。 |
ルカ 10:42 注1 |
主は、救われて彼を愛する者たちが彼に聞き入り(39節)、彼の願いを知ることを望まれ、彼のために何かをして、彼のみこころがわからないことを願われません(参照,サムエル上15:22.伝道5:1)。 マルタとマリヤの物語が、良きサマリヤ人のたとえのすぐ後に続くのは、とても意義深いです。あのたとえは、人であり、罪人の隣人となる救い主のあわれみと愛を見せています。マルタとマリヤの物語は、主の願いと好みを明らかにします。彼は神であり、信者たちの主人となられます。救い主はあわれみと愛をわたしたちに与えて、わたしたちが彼によって救われることができるようにされます。主は彼の願いと好みを表して、わたしたちが彼に仕えることができるようにされます。わたしたちは救い主から救いを受けた後、主に仕えるべきです。わたしたちの救いのためには、救い主のあわれみと愛を認識する必要があります。わたしたちの奉仕のためには、主の願いと好みを知る必要があります。 |
ルカ 11:2 注1 |
2節から4節(2―4節)については、マタイ第6章9節から13節(マタイ6:9―13)のノートを参照。 |
ルカ 11:2 注2 |
幾つかの写本は、天におられるわたしたちの父よ、となっています。 |
ルカ 11:2 注3 |
文字どおりには、聖別される。 |
ルカ 11:4 注1 |
原文は、複数。 |