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出典

フットノート

ルカ 12:56 注4 幾つかの写本は、しかし、この時をどのように見分けるかを、あなたがたは知らない、となっています。
ルカ 12:56 注5 すなわち、時のしるしを見分ける(マタイ16:3)。そのしるしとは、(1) 予言されたように、バプテスマのヨハネが来て、メシヤの来られることを告げ知らせたこと(3:2―6,15―17)、(2) メシヤがそこにいて、人々が彼を受け入れて救われるために、ご自身を供給しておられたことです。
ルカ 12:56 注4 幾つかの写本は、しかし、この時をどのように見分けるかを、あなたがたは知らない、となっています。
ルカ 12:57 注1 主がそれを教えなくても、ユダヤ人はその時、彼らが従うべき正しい道と行なうべき正しいこと、すなわち、主を受け入れて彼に従うことを、彼ら自身で判断するだけの十分なしるしを見ていました。
ルカ 12:58 注1 「それは」は、58節から59節(58―59節)が、57節(57節)の継続であることを示します。その継続の中で、人―救い主はユダヤ人に、彼らがまだ律法(彼らを訴える者―ヨハネ5:45)の下で神(役人)に会い、キリスト(裁判官―ヨハネ5:22使徒17:31)によって裁かれるために道の途中にある間に(そこへ向かっていた時に)、彼らが訴える者から解放されるよう努力すべきであることを、命じられました。それは、彼らがキリストによって裁かれ、御使い(下役―参照,マタイ13:41)によって火の池(獄―啓20:11―15)に投げ込まれないためです。もしそれが起こると、彼らは決して永遠に出て来ることはありません(59節)。これら二つの節にある言葉は、群衆が悔い改めて救われるために語られました(54節)。しかし、マタイによる福音書第5章25節から26節(マタイ5:25―26)では、この言葉は弟子たちが王国の生活をするために、彼らに適用されました(参照,そこのノート)。
ルカ 12:58 注2 あるいは、労苦する。
ルカ 12:59 注1 パレスチナでのギリシャ・ローマの貨幣で、最小の硬貨。
ルカ 13:1 注1 「さて」は、悔い改めのことをさらに取り扱っている1節から9節(1―9節)が、第12章の最後の節から続いていることを示しています。主は1節から5節(1―5節)で二つの事例を用いて、彼らユダヤ人が悔い改めるべき時は今であることを、そして、もし悔い改めないと、彼らもそれら二つの事の犠牲者と同じように、みな滅びることを、気づかせようとされました。
ルカ 13:6 注1 「それから」は、6節から9節(6―9節)が、前にある悔い改めについての節の続きであることを示しています。
ルカ 13:6 注2 このたとえは、ぶどう園の持ち主である神が、御子にあって来て、ユダヤ人から実を求められたことを示しています。ユダヤ人は、神の約束の地、ぶどう園に(参照,マタイ21:33とノート1)植えられた、いちじくの木にたとえられています(参照,マタイ21:19のノート1)。彼は三年間、求めてきましたが(7節)、何も見いだしませんでした。彼はユダヤ人を切り倒そうとされましたが、園丁としての子なる神は、父なる神が彼らを容認するよう、彼らのために祈られました。そして、御子が彼らのために死に(そのいちじくの木の周りの地を掘り)、それに肥料を与えて(こやしをかけて)、彼らが悔い改めて実を結ぶことを望まれました。そうでないと、彼らは切り倒されるでしょう。第11章29節から32節(11:29―32)と42節から52節(11:42―52)の二つの部分は、ユダヤ人が悪い世代であることを示して、この解釈を確証します。
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