出典 |
フットノート |
ルカ 16:16 注5 |
パリサイ人が神の王国に入ろうとして強力に奪い取るためには、自分をへりくだらせ(参照,15節)、彼らの妻ではなく(参照,18節)、彼らの金銭と離別する必要がありました(参照,14節)。すなわち、金銭とそれによってあおられた情欲に打ち勝つ必要がありました。 |
ルカ 16:17 注1 |
ヘブル語の文字の、微小な角状の突出部分で、これがあるかないかで異なる文字になります。 |
ルカ 16:17 注2 |
あるいは、すたる。 |
ルカ 16:18 注1 |
文字どおりには、解放して。 |
ルカ 16:19 注1 |
これは、たとえではありません。なぜなら、アブラハム、ラザロ、ハデスなどの名を挙げているからです。それは、金銭を愛し、自分を義とするパリサイ人に対する例証的な答えとして、救い主が用いられた物語です(14―15節)。それは、彼らが金銭愛のために救い主の福音を拒絶した結果、彼らの将来が、その金持ちのように悲惨になるであろうことを明らかにして、彼らに警告しました。 |
ルカ 16:22 注1 |
ラビの言い方で、パラダイスでアブラハムと共にいることと等しいです。IIコリント第12章4節(IIコリント12:4)のノート1を参照。 |
ルカ 16:23 注1 |
マタイ第11章23節(マタイ11:23)のノート1を参照。 |
ルカ 16:26 注1 |
ハデスを二つの部分に分ける溝。その一つは、アブラハム、ラザロ、すべての救われた聖徒のいる心地よい楽しい部分であり(22節)、もう一つは金持ちとすべての滅びた罪人のいる苦しい部分です(23節前半,28節)。この二つの部分は互いに遮断されていて、渡って行く橋がありません。しかし、二つの部分にいる人々は、互いに見ることができ、語りかけることさえできます(23―25節)。 |
ルカ 16:29 注1 |
モーセの律法と預言者たちの書(参照,16節)。すなわち、神の言葉のことを言っています(マタイ4:4)。人が神の言葉を聞くかどうかが、その人が救われるか滅びるかを決定します。貧しい人が救われたのは、彼が貧しかったからではなく、神の言葉を聞いたからです(ヨハネ5:24.エペソ1:13)。金持ちが滅びたのは、彼が金持ちであったからではなく、神の言葉を拒絶したからです(使徒13:46)。 |
ルカ 16:31 注1 |
もし人々が神の言葉の言うことを聞かないなら、だれかが死人から奇跡的に起き上がっても、彼らが説得されることはありません。ここでの救い主の言葉は、もしパリサイ人に代表されるユダヤ人が、旧約でモーセと預言者たちを通して語られた神の言葉を聞かなければ、たとえ救い主が死人から起き上がっても、彼らは聞き入れないであろうことを暗示しています。この悲しむべきことは、彼の復活の後に起こりました(マタイ28:11―15.使徒13:30―40,44―45)。 |