出典 |
フットノート |
ルカ 17:24 注2 |
文字どおりには、下の。 |
ルカ 17:26 注1 |
26節から27節(26―27節)については、マタイ第24章37節から39節(マタイ24:37―39)のノートを参照。 |
ルカ 17:26 注2 |
洪水前のノアの世代とソドムの破壊前のロトの世代を麻ひさせた、邪悪な生活の状態は、主のパルーシア(臨在,到来)と大患難(マタイ24:3,21)の前の、人の危険な状態を描写します。わたしたちが勝利者の携え上げにあずかって、主のパルーシアを享受し、大患難を免れるためには、今日の人の生活の麻ひさせる効力に打ち勝つ必要があります。 |
ルカ 17:31 注1 |
地的で物質的な事柄の中でぐずぐずしていると、34節から36節(34―36節)で啓示されている勝利者の携え上げにあずかり損ないます。 |
ルカ 17:31 注2 |
文字どおりには、背後の物に戻るな。 |
ルカ 17:32 注1 |
ロトの妻はぐずぐずして、ソドムを振り返って見たために、塩の柱になりました。それは彼女が、神が裁いて徹底的に滅ぼそうとしておられた邪悪なこの世を愛し、尊んでいたことを示します。彼女はソドムから救い出されたのですが、ロトが達した安全な場所には達しませんでした(創19:15―30)。彼女は滅びはしませんでしたが、完全に救われもしませんでした。彼女は味のなくなった塩のように(14:34―35と34節のノート2)、恥の場所に取り残されました。これは、この世を愛する信者たちに対する厳粛な警告です。 |
ルカ 17:33 注1 |
マタイ第10章39節(マタイ10:39)のノート1を参照。わたしたちの魂の命を保持していることは、31節(31節)で言われた、地的で物質的な事柄の中でぐずぐずしていることと関係があります。わたしたちはこの時代で魂の享受を好むので、地的な事柄の中でぐずぐずします。これは、わたしたちの魂を失わせます。すなわち、わたしたちの魂は、来たるべき王国の時代での享受にあずかることができない、という結果になります。 |
ルカ 17:34 注1 |
34節から36節(34―36節)については、マタイ第24章40節から41節(マタイ24:40―41)のノートを参照。この部分で、勝利を得た信者たちの携え上げが啓示されています。携え上げは、こっそりと思いがけない時に起こるでしょう。眠っている何人かの信者たちは夜に、家で粉をひいている何人かの姉妹たちや、畑で働いている何人かの兄弟たちは昼間にです。彼らが選ばれるのは、その時代の麻ひさせる効力に打ち勝ったからです。第14章25節から35節(14:25―35)で救い主は、彼に従うために、できる限り、代価を払うようわたしたちに命じられます。第16章1節から13節(16:1―13)で彼は、わたしたちが忠信な家令として賢明に彼に仕えるために、マモンに打ち勝つように命じられます。第17章22節から37節(17:22―37)で彼は、わたしたちが携え上げられ、彼のパルーシア(臨在,到来)の享受へ入るために、この時代における、放縦な生活の麻ひさせる効力に打ち勝つように命じられます。これらすべての命令は、信者が実際生活で勝利を得ることと関係があります。 |
ルカ 17:34 注2 |
これは、勝利者たちの携え上げです(参照,21:36のノート2)。彼らはこの時代のこの世的な事柄を愛さず、彼らの魂の命を保持することをしません(26―32節)。 |
ルカ 17:36 注1 |
幾つかの写本は、この節を省いています。 |