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出典

フットノート

ルカ 18:32 注1 マタイ第20章18節(マタイ20:18)のノート1とマルコ第10章33節(マルコ10:33)のノート1を参照。
ルカ 18:35 注1 これは、救い主がエリコに入る前に盲人をいやされたことを意味します。しかし、マタイによる福音書第20章29節(マタイ20:29)とマルコによる福音書第10章46節(マルコ10:46)によれば、このいやしは、彼がエリコから出て行かれる時に行なわれました。ルカの物語には霊的意義があります。その盲人が見えるようになった後、第19章1節から9節(19:1―9)のザアカイの救いが続きます。これは、救いを受けることが、救い主を見る視力をまず必要とすることを意味します。エリコで続けて起こったこれら二つの事例は、霊的には一つの完全な事柄と考えられるべきです。暗やみにいる罪人はまず視力を得て、救いの必要を認識する必要があります(使徒26:18)。
 第18章35節から第19章10節(18:3519:10)で取り扱われていることは、人がいかにして、9節から30節(9―30節)に啓示されている神の王国に入るための条件を満たし得るかを見せています。それはまず、救い主から視力を得ること(35―43節)、次に、救い主をダイナミックな救いとして受け入れることです(19:1―10)。こうして、その盲人は、悔い改めた取税人や占有されていない幼子のようになって、救い主を受け入れることができ、またザアカイは、彼の富のすべてを放棄して、救い主に従うことができたのです。すべての霊的な事柄に入る道は、主から視力を得ること、そして主ご自身を受け入れることです。
ルカ 18:38 注1 マタイ第20章30節(マタイ20:30)のノート1を参照。
ルカ 18:41 注1 マルコ第10章51節(マルコ10:51)のノート1を参照。
ルカ 18:42 注1 文字どおりには、救った。
ルカ 19:1 注1 第10章30節(10:30)のノート3を参照。
ルカ 19:2 注1 マタイ第5章46節(マタイ5:46)のノート2を参照。
ルカ 19:4 注1 あるいは、花のないいちじく桑。その葉は桑の葉のようで、その実はいちじくの実に似ています。
ルカ 19:8 注1 罪人がいったん救い主を受け入れると、そのダイナミックな救いの結果として、物質の財産を処置し、過去の罪深い生活を一掃します。
ルカ 19:8 注2 第3章14節(3:14)と同じギリシヤ語。それは「ゆすり取る」ことの穏やかな言い方です。取税人は財産や収入をわざと高く見積もったり、払い切れない者の税金を増したりして、高利貸しのようなことをしていました。
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