出典 |
フットノート |
マタイ 6:7 注1 |
これは、わたしたちが祈りを繰り返すべきではないという意味ではありません。主はゲッセマネで彼の祈りを繰り返され(26:44)、使徒パウロは同じ祈りを三回祈り(IIコリント12:8)、天の大群衆はハレルヤを繰り返して神を賛美しました(啓19:1―6)。ここの意味は、わたしたちがむなしい言葉、意味のない言葉を繰り返すべきではないということです。 |
マタイ 6:8 注1 |
わたしたちの父なる神は、わたしたちの必要を知っておられるとはいえ、わたしたちはやはり求める必要があります。なぜなら、求める者が受けるからです(7:8)。 |
マタイ 6:9 注1 |
「このように」とは、わたしたちがこれを暗唱することを意味するのではありません。使徒行伝や書簡には、そのような暗唱の例はありません。 |
マタイ 6:9 注2 |
主が模範とされた祈りの例で、最初の三つの祈り求めは神格の三一を暗示しています。「あなたの御名が聖とされますように」は御父と、「あなたの王国が来ますように」は御子と、「あなたのみこころが・・・・行なわれますように」はその霊と、おもに関係があります。この祈り求めは、この時代で成就されつつあり、来たるべき王国時代で究極的に成就されます。その時、神の御名は地にあまねく尊ばれ(詩8:1)、この世の王国はキリストの王国となり(啓11:15)、神のみこころは達成されます。 |
マタイ 6:9 注3 |
文字どおりには、聖別され。 |
マタイ 6:10 注1 |
サタンの反逆の後(エゼキエル28:17.イザヤ14:13―15)、地はサタンの横領の手に陥りました。こうして、神のみこころが、天と同じように地でも行なわれることができなくなりました。ですから、神は地をご自身のために回復する意図をもって、人を創造されました(創1:26―28)。人の堕落の後、キリストは天の支配を地にもたらすために来られました。それは、地が神の益のために回復され、神のみこころが天と同じように地でも行なわれるためです。これが、新しい王が従う者と共に天の王国を設立しようとする目的です。王国の民はこのために、地が来たるべき王国時代に神のみこころのために完全に回復されるまで、祈らなければなりません。 |
マタイ 6:11 注3 |
あるいは、明日までのパン、この日のためのパン。「日ごとのパン」は、信仰による生活を示します。王国の民は、自分たちの蓄えたものに頼って生きるべきではありません。むしろ、彼らは、御父の日ごとの供給に対する信仰によって生きるべきです。 |
マタイ 6:11 注2 |
王は民に明日のことを思い煩ってもらいたくありません(34節)。彼はただ彼らに、今日の必要を祈り求めてほしいのです。 |
マタイ 6:11 注1 |
この模範的な祈りは、まず神の御名、神の王国、神のみこころを顧みます。そして第二に、わたしたちの必要を顧みます。 |
マタイ 6:12 注1 |
この模範的な祈りは、第三に、王国の民の神の御前での失敗と、彼らと他の人との関係を顧みます。王国の民は自分たちの負債、失敗、違反を御父に赦してくださるよう、求めるべきです。それは、彼らが自分に負債のある者を赦し、平和を維持するためです。 |