出典 |
フットノート |
ヨハネ 1:41 注1 |
「メシヤ」はヘブル語であり、「キリスト」はギリシャ語の翻訳です。いずれも、「油塗られた者」を意味します。キリストは、神の油塗られた方、神によって神の目的、神の永遠の計画を達成するように任命された方です。 |
ヨハネ 1:41 注1 |
「メシヤ」はヘブル語であり、「キリスト」はギリシャ語の翻訳です。いずれも、「油塗られた者」を意味します。キリストは、神の油塗られた方、神によって神の目的、神の永遠の計画を達成するように任命された方です。 |
ヨハネ 1:42 注1 |
「石」を意味します。主はマタイによる福音書第16章18節(マタイ16:18)で、召会の建造についてペテロに語った時、この言葉を述べられました。このことから、ペテロは、霊の家の建造のための生ける石という観念を得たに違いありません(Iペテロ2:5)。この霊の家とは、すなわち召会です。ここの石は、神の建造のための材料を生み出す造り変えの働きを意味します(Iコリント3:12)。 |
ヨハネ 1:45 注1 |
ピリポがナタナエルに、「ヨセフの子」、また「ナザレの」という言葉で伝えた報道は、不正確でした。イエスはヨセフから生まれたのではなく、マリヤからであり(マタイ1:16)、またナザレで生まれたのではなく、ベツレヘムで生まれたのでした(ルカ2:4―7)。 |
ヨハネ 1:49 注1 |
メシヤ。 |
ヨハネ 1:51 注1 |
ギリシャ語は、アーメン、アーメン。本書全体にわたってそうです。 |
ヨハネ 1:51 注2 |
これはヤコブの夢の成就です(創28:11―22)。人性を伴う人の子としてのキリストは、神の家、すなわちベテルのために、地に立てられたはしごであって、天へ導き、天を地に対して開き続け、地を天に結合します。ヤコブは油を石の上に注ぎました。それは、石が神の家となるためでした。油は聖霊、すなわち、人に届く三一の神の究極的表現の象徴です。石は造り変えられた人の象徴です。この章には、その霊(32節)と石(42節)があります。石は、人性の中のキリストをもって神の家を建造するための建造の材料です。これがある所には、開かれた天があります。 |
ヨハネ 1:51 注3 |
この福音書の序言である第1章は、キリストを神の子(34、49節)と人の子の両方として紹介しています。ナタナエルは彼を神の子と認識し、彼をそのように呼びかけました(49節)。ところがキリストはナタナエルに、ご自身が人の子であると言われました。神の子は神であって、彼には神の性質があります。人の子は人であって、彼は人の性質を持っておられます。彼が神のひとり子であるのは、神を明らかに示すためであり(18節)、神を人にもたらすためです。彼が人の子であるのは、地上で、人々の間に神の住まいを建造するためです。神の建造は、彼の人性を必要とします。過去の永遠に、キリストはただ神であり、神の御子であり、神性しか持っておられませんでした。しかし未来の永遠に、キリストは神と人として、また神の子と人の子として、永遠に神性と人性の両方を持っておられます。 |
ヨハネ 1:51 注2 |
これはヤコブの夢の成就です(創28:11―22)。人性を伴う人の子としてのキリストは、神の家、すなわちベテルのために、地に立てられたはしごであって、天へ導き、天を地に対して開き続け、地を天に結合します。ヤコブは油を石の上に注ぎました。それは、石が神の家となるためでした。油は聖霊、すなわち、人に届く三一の神の究極的表現の象徴です。石は造り変えられた人の象徴です。この章には、その霊(32節)と石(42節)があります。石は、人性の中のキリストをもって神の家を建造するための建造の材料です。これがある所には、開かれた天があります。 |
ヨハネ 2:1 注1 |
復活の日(Iコリント15:4)。 |