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出典

フットノート

ヨハネ 2:19 注2 「三日のうちに」は復活においてを意味します。
ヨハネ 3:1 注1 「ところが」という言葉は、ニコデモのこの事例が、前の数節(2:23―25)の事例と異なっていることを示します。前の事例では、人々が主を信じたのは、主が行なわれた奇跡を見たからです。主はそのような人々に、ご自身を任せることができませんでした。しかしこの章の事例は、再生における命に関するものです。これは、本書が奇跡的な事柄のためではなく、ただ命のためであることを啓示します。こういうわけで、主によって行なわれた奇跡でさえ、本書ではしるしと呼ばれているのです。それは、主が来られたのは奇跡のためであって人に利益を得させる、ということではなく、主が命のために来て神を増殖させることを象徴しています(12:24)。
ヨハネ 3:2 注1 ニコデモは、キリストを神から来られた教師と考えました。これは、彼がより良い教えで自分を改善する必要がある、と考えていたことを示します。ところが次の節で、主の答えは、彼が新しく生まれる必要があることを啓示しました。新しく生まれるとは、神の命で再生されることです。神の命は、天然の誕生によって受けた人の命とは異なります。ですから彼の真の必要は、より良い教えで自分を改善することではなく、神の命で造り変えられることでした。彼は知識の木に属する教えを追い求めていました。しかし主の答えは、命の必要に彼を転向させました。この命は、命の木に属するものです(参照、創2:917)。
ヨハネ 3:3 注1 あるいは、上から生まれる。7節(7節)も同じです。新しく生まれるとは、上から、天から生まれること、すなわち、天におられる神から生まれることです。
ヨハネ 3:3 注3 神の王国は、神の統治です。それは神聖な領域であり、そこに入るのに、神の命を要する領域です。神の命だけが、神聖な事柄を認識することができます。ですから、人が神の王国を見るため、あるいは神の王国の中に入るためには、神の命で再生されることが必要です。
ヨハネ 3:3 注2 霊的な事柄では、見ることは入ることです(5節)。
ヨハネ 3:5 注2 「水と霊から」という言葉は、何の説明をするまでもなく、ニコデモには明らかであったはずです。マタイによる福音書第3章11節(マタイ3:11)で、バプテスマのヨハネはパリサイ人に対して同じ言葉を語りました。ですから、それらはパリサイ人の間で十分に理解されていたはずです。今、パリサイ人の一人であるニコデモは、主と会話をしていましたが、主はこれらのなじみ深い言葉を語られました。「水」は、バプテスマのヨハネの務めの中心的観念、すなわち、旧創造の人を終わらせることです。「霊」は、イエスの務めの中心的観念、すなわち、人を新創造の中に発芽させることです。これら二つの主要な観念が一緒になって、再生という観念を構成します。再生とは、旧創造の人を彼らのすべての行ないと共に終わらせること、そして、人を新創造の中で神の命をもって発芽させることです。
ヨハネ 3:5 注1 文字どおりには、から出て。
ヨハネ 3:6 注1 文字どおりには、から出て。
ヨハネ 3:6 注2 ここで最初に述べられた霊は、神の霊、神の聖霊です。二番目に述べられた霊は、人の霊、再生された人の霊です。再生は、人の霊の中で、神の聖霊によって、神の命、非受造の永遠の命をもって達成されます。ですから再生されるとは、神聖な、永遠の命を(人の、天然の命に加えて)、新しいパースンの新しい源、新しい要素として持つことです。
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