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出典

フットノート

ヨハネ 3:6 注1 文字どおりには、から出て。
ヨハネ 3:8 注1 「風」のギリシャ語は、「霊」と同じ言葉です。それが「風」を意味するか、「霊」を意味するかは、文脈によって決まります。ここの文脈では、それは吹くものであり、その音を聞くことができると言っています。ですから「風」であることを示します。再生された人は、「風」のようです。それは認識され得ますが、理解を超えています。それゆえに、それは一つの事実であり、実際です。
ヨハネ 3:8 注2 文字どおりには、から出て。
ヨハネ 3:12 注1 ここの「地上の事柄」は、地的な性質の事柄ではなく、地上で起こる事柄を意味し、贖いや再生を含んでいます。同じ原則で、この節の「天の事柄」は、天的性質の事柄ではなく、天で起こる事柄を意味します。次の節で主は、彼は天から下って来て、なおも天にいる者であると言われました。これは、彼が天で起こる事柄を知っておられることを示します。なぜなら彼は、絶えず天におられる方であるからです。
ヨハネ 3:12 注1 ここの「地上の事柄」は、地的な性質の事柄ではなく、地上で起こる事柄を意味し、贖いや再生を含んでいます。同じ原則で、この節の「天の事柄」は、天的性質の事柄ではなく、天で起こる事柄を意味します。次の節で主は、彼は天から下って来て、なおも天にいる者であると言われました。これは、彼が天で起こる事柄を知っておられることを示します。なぜなら彼は、絶えず天におられる方であるからです。
ヨハネ 3:13 注1 幾つかの古代の権威ある写本は、天にいる、を省いています。
ヨハネ 3:14 注1 この章は、再生を取り扱っています。再生は、一方で、神聖な性質を伴う神の命をわたしたちの中にもたらします。もう一方で、再生はわたしたちの肉の中の、サタンの邪悪な性質を終わらせます。創世記第3章で、蛇であるサタンは、彼の性質を人の肉の中に注入しました。イスラエルの子たちが神に対して罪を犯した時、蛇にかまれました(民21:4―9)。神はモーセに、青銅の蛇を上げるように告げられました。こうして彼らに代わって神の裁きを受けたその青銅の蛇を、すべての人が仰ぎ見ることによって、生きるのです。これは予表でした。この節で、主イエスは、その予表をご自身に適用されました。すなわち、彼が肉体にあった時、「罪の肉の様」(ローマ8:3)の中にあり、その様は、青銅の蛇の形であったことを示されました。その青銅の蛇は、蛇の形をしていましたが、蛇の毒はありませんでした。キリストは「罪の肉の様」になられましたが、肉の罪には少しもあずかりませんでした(IIコリント5:21ヘブル4:15)。彼が肉体の中で十字架に上げられた時、彼の死によって、サタン、古い蛇は対処されました(12:31―33ヘブル2:14)。これは、堕落した人の中にある蛇の性質が、対処されたことを意味します。人がキリストにあって神の命で再生される時、彼のサタンの性質は無効にされます。こういうわけで、御言のこの部分で、主がニコデモに再生の事を啓示した時、特にこの点を述べられたのです。
 ニコデモは、自分自身を道徳的で善良な人と考えていたのでしょう。しかしこの節の主の言葉は、ニコデモが外側ではどんなに善良であったかにかかわりなく、内側ではサタンの蛇の性質を持っていたことを暗示しています。アダムの子孫として、ニコデモは古い蛇によって毒されており、蛇の性質が彼の内側にありました。彼の必要は、主が神の小羊として彼の罪を取り除くだけでなく(1:29)、主が蛇の形の中で、彼の蛇の性質を十字架の上で対処し、彼が永遠の命を持つことでした。第2章で設定された原則によれば、これは死を命に変えることです。
ヨハネ 3:15 注1 これは神の命、神の非受造の命です。それは、時間的に永続するだけでなく、性質においても永遠であり、神聖です。16節(16節)と36節(36節)も同じです。
ヨハネ 3:16 注1 ここの世の人は、原文はこの世と同じ言葉で、罪深い、堕落した、この世を構成する人々のことを言います。彼らには罪があるだけでなく、年を経た蛇である悪魔の毒素もあります。ですから、彼らは蛇となりました。彼らには、蛇の形で、彼らのために死に、彼らの身代わりとして、神によって裁かれるキリストが必要でした(14節)。そうでないと、彼らは滅びます(16節)。人は徹底的に堕落しましたが、神はなおも彼らを、彼ご自身である神聖な愛をもって愛しておられます(Iヨハネ4:816)。なぜなら彼らは、神によって、神ご自身のかたちにしたがって、神を入れる器として造られたからです(創1:26ローマ9:21前半、23)。さらに、神はそんなにも人を愛して、ご自身の表現である彼のひとり子を彼らに与えられました。それは、彼らが神の永遠の命を得て、彼の多くの子たちとなり、彼の団体の表現となって、神の永遠の新約エコノミーを成就するためです。ですから、神はまず彼の霊によって彼らを再生し(3―6節)、彼らに神の永遠の命を得させられました(15―16、36節前半)。次に神は、彼らをご自身の無限の霊で満たされます(34節)。それは彼らが、すべての上にあり、すべてを含むキリストの花嫁(31―35節)、すなわち彼の増し加わりと豊満になるためです(28―30節)。
ヨハネ 3:16 注2 主の中へと信じるとは、彼を信じること(6:30)とは異なります。彼を信じるとは、彼が真実であり、実際であると信じることです。しかし彼の中へと信じるとは、彼を受け入れて、彼と一つに結び付けられることです。前者は客観的に事実を認識することであり、後者は主観的に命を受け入れることです。
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