出典 |
フットノート |
マタイ 6:22 注1 |
わたしたちの二つの目は、一度に一つの物にしか焦点を合わせることができません。もし何とかして一度に二つの物を見ようとするなら、わたしたちの視力はぼやけてしまいます。わたしたちの目を一つの物に焦点づけるなら、わたしたちの視力は単一で、体全体は明るくなります。わたしたちの宝を天と地の両方に蓄えるなら、わたしたちの霊的な視力はぼやけるでしょう。わたしたちが単一な視力を持とうとするなら、宝を一箇所に蓄えなければなりません。 |
マタイ 6:23 注1 |
一度に二つの物を見ると、一つの物にも焦点を合わせることができません。それは、わたしたちの目を悪くします(参照、20:15.申15:9.箴28:22)。そうであれば、わたしたちの体全体は暗くなります。 |
マタイ 6:23 注2 |
わたしたちの心が地上に蓄えられた宝に固着しているなら、わたしたちの中にある光は暗やみとなり、その暗さは大きくなります。 |
マタイ 6:24 注1 |
文字どおりには、奴隷として仕える。 |
マタイ 6:24 注2 |
ギリシャ語で、「一方を重んじて他方を軽んじる」は、一方には熱心で、他方に敵対することを意味します。 |
マタイ 6:24 注3 |
財産、富を意味するアラム語。ここで神に対立しているマモン、すなわち財産や富は、神の敵であって、神の民の神に対する奉仕を奪うことを示します。 |
マタイ 6:24 注1 |
文字どおりには、奴隷として仕える。 |
マタイ 6:25 注1 |
文字どおりには、魂。魂の命を指しており、その中には、食物と衣服に対する願望と欲求があります(イザヤ29:8)。 |
マタイ 6:25 注1 |
文字どおりには、魂。魂の命を指しており、その中には、食物と衣服に対する願望と欲求があります(イザヤ29:8)。 |
マタイ 6:25 注2 |
わたしたちの命は食物にまさり、わたしたちの体は衣服にまさります。わたしたちの命と体は、わたしたちの思い煩いによってではなく、神によって存在するに至りました。神はわたしたちを、命と体を伴うものに創造されたのですから、確かにその必要も顧みてくださいます。王国の民は、これについて思い煩う必要はありません。 |