出典 |
フットノート |
ヨハネ 4:54 注1 |
カナにおける最初のしるし(2:1―11)は、死を命に変えることを象徴し、命の原則を設定しています。ここの第二のしるしは、死を命に変える原則の継続、適用です。死の源は知識の木であり、命の源は命の木です(参照、創2:9、17)。 |
ヨハネ 5:2 注1 |
羊の門は、律法を順守する宗教の羊の囲いの門を象徴します(10:1)。 |
ヨハネ 5:2 注2 |
「ベテスダ」は「あわれみの家」を意味し、律法の順守を実行した人々は、神のあわれみが必要であったことを象徴します。なぜなら、彼らはローマ人への手紙第7章7節から24節(ローマ7:7―24)で描写されているように、無力で弱く悩める者であったからです。 |
ヨハネ 5:2 注3 |
回廊は、律法を順守する宗教の避難所を象徴し、羊の囲いも同じです。五という数は責任を示します。 |
ヨハネ 5:3 注1 |
これは、律法順守の避難所の下にある宗教の羊の囲いの中には、見ることのできない多くの盲人、歩くことのできない多くの足の不自由な人、命の供給に不足した多くの体の麻ひした人がいることを象徴します。 |
ヨハネ 5:3 注2 |
幾つかの写本は、3節(3節)の後半(3節後半)と4節(4節)全部を省いています。 |
ヨハネ 5:4 注1 |
ここの御使いは、命を与えることのできない律法が与えられた時の、媒介者を象徴します(ガラテヤ3:19、21)。 |
ヨハネ 5:4 注2 |
水がかき立てられて人々をいやすことは、律法を守ることによって、人を完全にしようと企てることを象徴します。 |
ヨハネ 5:4 注3 |
あるいは、健全に、健康に。6節(6節)も同じ。 |
ヨハネ 5:5 注1 |
この病んでいる無力な人には、祭りの喜ばしい日でさえ、何の幸福もありませんでした(1節)。また安息日でさえ、何の安息もありませんでした(10節)。 |