本文
注解
マタイ
マルコ
ルカ
ヨハネ
使徒行伝
ローマ
コリント第一
コリント第二
ガラテヤ
エペソ
ピリピ
コロサイ
テサロニケ第一
テサロニケ第二
テモテ第一
テモテ第二
テトス
ピレモン
ヘブル
ヤコブ
ペテロ第一
ペテロ第二
ヨハネ第一
ヨハネ第二
ヨハネの第三
ユダ
啓示録
章
節
[1ページ目]
[前10ページ]
[
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
]
[後10ページ]
[最後のページ]
263/981ページ 計
9804
件
出典
フットノート
ヨハネ 5:18 注1
宗教的な人々は、一方で安息日を守りましたが、もう一方で、イエスを殺そうとしました。どうして彼らに安息があり得たでしょうか? 彼らは宗教観念のゆえに、自分たちの宗教儀式を守ろうとしない人たちを殺すことが、神に仕えることであると考えました(
16:2
)。これは、サタンが罪を用いて人に害毒を与えたように、宗教を用いて人に害毒を与え、殺させることです。
ヨハネ 5:18 注2
実際上、御子と御父は一つです(
10:30
)。
ヨハネ 5:24 注1
第3章15節(
3:15
)のノート1を参照。
ヨハネ 5:24 注2
あるいは、罪定め。
ヨハネ 5:24 注3
死の源は知識の木であり、命の源は命の木です(参照、
創2:9
、
17
)。ですから、死から命に移るとは、人の生活の源を変えることです。
ヨハネ 5:25 注1
エペソ人への手紙第2章1(
エペソ2:1
)、5節(
エペソ2:5
)と、コロサイ人への手紙第2章13節(
コロサイ2:13
)によれば、これは肉体的に死んでいる人ではなく、霊において死んでいる人です。ですから、この節での生きるとは、霊において生きることを意味します。それは、28節から29節(
28―29節
)で述べられているような、体の復活を象徴するのではありません。
ヨハネ 5:25 注1
エペソ人への手紙第2章1(
エペソ2:1
)、5節(
エペソ2:5
)と、コロサイ人への手紙第2章13節(
コロサイ2:13
)によれば、これは肉体的に死んでいる人ではなく、霊において死んでいる人です。ですから、この節での生きるとは、霊において生きることを意味します。それは、28節から29節(
28―29節
)で述べられているような、体の復活を象徴するのではありません。
ヨハネ 5:27 注1
主は神の御子です(
25節
)。ですから、彼は命を与えることができます(
21節
)。彼はまた人の子です。ですから、彼は裁きを執行することができます。
ヨハネ 5:28 注1
これらは肉体的に死んで墓に葬られている者たちです。ですから、彼らが29節(
29節
)で墓から出て来ることは、体の復活です。
ヨハネ 5:29 注1
これは救われた信者たちの復活で、千年期の前に起こります(
啓20:4
、
6
.
Iコリント15:23
、
52
.
Iテサロニケ4:16
)。主イエスの再来の時に、死んだ信者たちは復活して、永遠の命を享受します。ですから、この復活は、命の復活と呼ばれます。
[1ページ目]
[前10ページ]
[
261
262
263
264
265
266
267
268
269
270
]
[後10ページ]
[最後のページ]
263/981ページ 計
9804
件
オンライン聖書―回復訳-注解検索結果