出典 |
フットノート |
ヨハネ 6:42 注1 |
第1章45節(1:45)のノート1を参照。 |
ヨハネ 6:46 注1 |
第1章14節(1:14)のノート5を参照。 |
ヨハネ 6:51 注1 |
「命のパン」(35節)は、パンの性質のことを言います。それは命です。「生けるパン」は、生きているパンの状態のことを言います。 |
ヨハネ 6:51 注2 |
この時点で、パンは肉となります。パンは植物の命に属し、それはただ養うためです。肉は動物の命に属し、養うためだけでなく、贖うためでもあります。人が堕落する前、主は命の木でした(創2:9)。命の木はただ人を養うためでした。しかし人が罪へと堕落した後、主は小羊となられました(1:29)。小羊は人を養うためだけでなく、人を贖うためでもあります(出12:4、7―8)。 |
ヨハネ 6:51 注3 |
主は彼の体、すなわち、彼の肉をわたしたちのために与えて、死なれました。それは、わたしたちが命を持つためです。 |
ヨハネ 6:53 注1 |
この時点で、血が加えられています。この血は贖いのために必要です(19:34.ヘブル9:22.マタイ26:28.Iペテロ1:18―19.ローマ3:25)。 |
ヨハネ 6:54 注2 |
ここでは、肉と血が分離して述べられています。血と肉が分離することは、死を示します。ここで主は明らかにご自分の死、すなわち、彼が殺されることを示されました。主はわたしたちのために彼の体を与え、彼の血を流されました。それは、わたしたちが永遠の命を持つためです。彼の肉を食べるとは、彼が体をわたしたちのために与えることによって行なわれたすべてを、信仰によって受け取ることです。彼の血を飲むとは、彼が血をわたしたちのために流すことによって成し遂げられたすべてを、信仰によって受け取ることです。彼の肉を食べ、彼の血を飲むとは、十字架上でわたしたちのために行なわれたことを信じることによって、命と命の供給として、彼を、その贖いにおいて受け取ることです。この節を47節(47節)と比較することによって、主の肉を食べ、主の血を飲むことは、彼を信じることであるのを見ます。なぜなら信じること、あるいは中へと信じることは、受け入れることであるからです(1:12)。 |
ヨハネ 6:54 注1 |
文字どおりには、かみこなす。56(56節)、57(57節)、58節(58節)も同じ。 |
ヨハネ 6:54 注2 |
ここでは、肉と血が分離して述べられています。血と肉が分離することは、死を示します。ここで主は明らかにご自分の死、すなわち、彼が殺されることを示されました。主はわたしたちのために彼の体を与え、彼の血を流されました。それは、わたしたちが永遠の命を持つためです。彼の肉を食べるとは、彼が体をわたしたちのために与えることによって行なわれたすべてを、信仰によって受け取ることです。彼の血を飲むとは、彼が血をわたしたちのために流すことによって成し遂げられたすべてを、信仰によって受け取ることです。彼の肉を食べ、彼の血を飲むとは、十字架上でわたしたちのために行なわれたことを信じることによって、命と命の供給として、彼を、その贖いにおいて受け取ることです。この節を47節(47節)と比較することによって、主の肉を食べ、主の血を飲むことは、彼を信じることであるのを見ます。なぜなら信じること、あるいは中へと信じることは、受け入れることであるからです(1:12)。 |
ヨハネ 6:56 注1 |
これは、主が復活してはじめて、わたしたちの中に住み、わたしたちの命また命の供給となることができることを示しています。 |