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出典

フットノート

マタイ 6:27 注1 あるいは、寿命(詩39:5のヘブル語の「一生」と同じ)。
マタイ 6:28 注1 「ゆり」は神の顧みの下にある人を象徴します(雅2:1―2)。
マタイ 6:32 注1 王国の民は、天の父の神聖な命を持っており、それは王国の新しい律法を守る力です。彼らはまた、彼らの物質の必要を顧みてくださる天の父を持っているので、そのことで思い煩う必要はありません。彼らの天の父は、彼らの力と供給の源です。ですから、彼らは弱くなったり欠乏する必要はありません。
マタイ 6:33 注1 父の王国は今日、天の王国の実際(今日の召会生活の実際)であり、来たるべき時代では天の王国の出現となります。父の義は、第5章20節で述べられたように、王国の新しい律法を守ることによって表現される義(すなわち、王国の民が生かし出すキリスト)です。王国の民は、まず彼らの天の父の王国と義を求めるので、彼の王国とその義が与えられるだけでなく、彼らの必要すべても加えられます。
マタイ 6:34 注1 王国の民は、決して明日を生きるべきではなく、常に今日を生きるべきです。
マタイ 6:34 注2 あるいは、邪悪。ギリシャ語の言葉は、13節のノート2にある「悪」とは異なります。ここの「苦労」は、困難や苦悩を示します。これは、王国の王が王国の民に、王国を求める彼らの地上の日々は困難と苦悩の日々であって、安楽で泰平の日々ではないことを明らかにされたことを示しています。
マタイ 7:1 注1 山上での新しい王の憲法の第六の部分(1―12節)は、王国の民が人を取り扱う原則に関してです。
マタイ 7:1 注2 王国の天的支配の下でへりくだった霊の中で生きている王国の民は、常に自分自身を裁くのであって、人を裁くのではありません。
マタイ 7:2 注1 王国の天的支配の下で、王国の民は、彼らが人を裁くその裁きで裁かれます。彼らが人を義をもって裁くなら、主によって義をもって裁かれるでしょう。彼らがあわれみをもって人を裁くなら、主によってあわれみをもって裁かれるでしょう。あわれみは裁きに打ち勝ちます(ヤコブ2:13)。
マタイ 7:3 注1 王国の天的支配の下で、へりくだった霊の中で生きている王国の民として、わたしたちは兄弟の目のちりを見る時はいつも、自分の目にある梁に気づかなければなりません。兄弟の目にあるちりは、わたしたち自身の目にある梁を思い出させなければなりません。
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