出典 |
フットノート |
ヨハネ 12:25 注1 |
第10章11(10:11)、15(10:15)、17節(10:17)にある「命」と同じギリシャ語です。主は、地に落ちた一粒の麦として、死を通して彼の魂の命を失われました。それは、彼が復活の中で、彼の永遠の命を多くの麦粒に解き放すためです。わたしたちも多くの麦粒として、死を通して、自分の魂の命を失わなければなりません。それは、わたしたちが復活の中で、永遠の命を享受するためです。これは26節(26節)で述べられているように、彼について行って彼に仕え、自分の魂の命を失い、彼の復活の中で生きる道を、彼と共に歩むことです。 |
ヨハネ 12:25 注1 |
第10章11(10:11)、15(10:15)、17節(10:17)にある「命」と同じギリシャ語です。主は、地に落ちた一粒の麦として、死を通して彼の魂の命を失われました。それは、彼が復活の中で、彼の永遠の命を多くの麦粒に解き放すためです。わたしたちも多くの麦粒として、死を通して、自分の魂の命を失わなければなりません。それは、わたしたちが復活の中で、永遠の命を享受するためです。これは26節(26節)で述べられているように、彼について行って彼に仕え、自分の魂の命を失い、彼の復活の中で生きる道を、彼と共に歩むことです。 |
ヨハネ 12:25 注2 |
第3章15節(3:15)のノート1を参照。 |
ヨハネ 12:27 注1 |
主は人として、彼が受けようとしている死のゆえに、彼の魂は騒ぎました。ですから彼は、「父よ、この時からわたしを救ってください」と祈られたのです。しかし、彼の霊の中では、父の栄光を現すためにその時に至ったことを、彼は認識されたに違いありません。 |
ヨハネ 12:27 注2 |
これは、次の節における父の御名の栄光を現すことを言っています。 |
ヨハネ 12:28 注1 |
父の御名の栄光を現すとは、御父の神聖な要素を表現させることです。御父の神聖な要素、すなわち永遠の命は、受肉した御子の中にありました。御子の受肉の殻は、死を通して破られ、御父の神聖な要素、永遠の命が、復活の中で解き放され、表現されなければなりません。それは、一粒の麦の命の要素が、その殻が破られることによって解き放され、その開花によって表現されるのと同じです。これが、御子において父なる神の栄光を現すことです。第17章1節(17:1)のノート1を参照。 |
ヨハネ 12:28 注1 |
父の御名の栄光を現すとは、御父の神聖な要素を表現させることです。御父の神聖な要素、すなわち永遠の命は、受肉した御子の中にありました。御子の受肉の殻は、死を通して破られ、御父の神聖な要素、永遠の命が、復活の中で解き放され、表現されなければなりません。それは、一粒の麦の命の要素が、その殻が破られることによって解き放され、その開花によって表現されるのと同じです。これが、御子において父なる神の栄光を現すことです。第17章1節(17:1)のノート1を参照。 |
ヨハネ 12:28 注1 |
父の御名の栄光を現すとは、御父の神聖な要素を表現させることです。御父の神聖な要素、すなわち永遠の命は、受肉した御子の中にありました。御子の受肉の殻は、死を通して破られ、御父の神聖な要素、永遠の命が、復活の中で解き放され、表現されなければなりません。それは、一粒の麦の命の要素が、その殻が破られることによって解き放され、その開花によって表現されるのと同じです。これが、御子において父なる神の栄光を現すことです。第17章1節(17:1)のノート1を参照。 |
ヨハネ 12:30 注1 |
文字どおりには、起こった。 |
ヨハネ 12:31 注2 |
ここのギリシャ語は、「按配」を意味します(参照、Iヨハネ2:15のノート2)。この世とは、サタンによって組織的に按配された邪悪な体系です。サタンは地上のすべてのもの、特に人と関係のあるもの、また空中にあるすべてのものを体系化して、彼の暗やみの王国としました。それは、人を占有し、人を妨害して、神の目的が成就するのを妨げ、神を享受することからそらすためです。主の体が十字架につけられることによって、この世の支配者、サタンが追い出された時、この邪悪な体系、暗やみの王国は、裁かれました。31節(31節)のノート1を参照。 |