出典 |
フットノート |
マタイ 7:5 注1 |
第6章2節のノート2を参照。 |
マタイ 7:5 注2 |
わたしたちの目に梁がある限り、わたしたちの視力はぼやけて、はっきり見ることはできません。 |
マタイ 7:6 注1 |
「聖なるもの」は、神に属する客観的真理のことを言っているに違いありません。「あなたの真珠」は、わたしたちのものである主観的経験のことを言っているに違いありません。 |
マタイ 7:6 注2 |
犬はひずめがなく、反すうもしません。豚はひずめが分かれていますが、反すうしません。ですから、両方とも汚れた動物です(レビ11:27、7)。ペテロの第二の手紙第2章12節、19節から22節、ピリピ人への手紙第3章2節の啓示によれば、ここの「犬」と「豚」は、宗教的ではあるが清くない人々のことを言っています。 |
マタイ 7:6 注1 |
「聖なるもの」は、神に属する客観的真理のことを言っているに違いありません。「あなたの真珠」は、わたしたちのものである主観的経験のことを言っているに違いありません。 |
マタイ 7:7 注1 |
まず求め、次に捜し、最後に門をたたきます。求めるとは普通に祈ること、捜すとは特別に嘆願すること、門をたたくとは最も親密に、最も熱心に要求することです。 |
マタイ 7:8 注1 |
この節の王の約束のこの部分は、王国の民が王国の新しい律法を守ることについて祈る祈りに、適用することができます。彼らはそれを求め、それを受けるでしょう。 |
マタイ 7:8 注2 |
王の約束のこの部分は、第6章33節に適用することができます。王国の民は父の王国と彼の義を追い求め、それらを見いだします。 |
マタイ 7:8 注3 |
王の約束のこの部分は、14節に適用されます。狭い門は、門をたたいた結果、王国の民に開かれます。 |
マタイ 7:11 注1 |
これは一つの大きな約束であって、王国の民が、天におられる彼らの父の顧みと供給の下にあることの確約です。こうして、彼らは十分に、王国の新しい律法を満たし、その実際の中に生きることができるのです。それは、彼らがその出現にあずかることができるためです。 |