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出典

フットノート

ヨハネ 12:31 注1 主は人の子として(23節)、蛇の形で(3:14)、すなわち罪の肉の様で(ローマ8:3)、十字架上に上げられました。年を経た蛇であるサタン(啓12:920:2)、この世の支配者は、人の肉の中に自分自身を注入しました。主は罪の肉の様で、十字架上で死ぬことによって、人の肉の中にいるサタンを滅ぼされました(ヘブル2:14)。このようにサタンを裁くことによって(16:11)、主はこの世も裁かれました。この世はサタンにすがっています。ですから、主が上げられたことは、この世を裁き、その支配者、サタンを追い出したのです。
ヨハネ 12:32 注1 主の死は一面で、24節(24節)に啓示されたように、地に落ちることでした。別の面で、それは木の上に上げられることでした(Iペテロ2:24)。地に落ちることは、多くの実を生み出すためであり、木の上に上げられることは、すべての人を彼ご自身に引き寄せるためでした。彼が地に落ちて生み出された多くの穀粒は、彼が木に上げられて引き寄せられた「すべての人」です。
 この章で啓示された主の死は、贖いの死ではなく、生み出す死、再生する死です。この死によって、人性という肉体の殻は破られ、主は三重の目的を達成されました。すなわち、(1) 多くの穀粒を生み出し、すべての人をご自身へと引き寄せる(2432節)。(2) 神聖な要素、永遠の命を解き放す(2328節)。(3) この世を裁き、この世の支配者、サタンを追い出す(31節)。わたしたちは彼の死を経験してはじめて、主が達成された三重の目的にあずかることができます。
ヨハネ 12:38 注1 主の御腕とは主イエスご自身です。
ヨハネ 12:40 注1 盲目と心のかたくなさ、この二つは関係があります。それらは、不信の者たちに対する懲らしめです。
ヨハネ 12:41 注1 ここの「彼の栄光」は、主イエスが神ご自身、万軍のエホバであり、その方の栄光をイザヤが見たことを確証しています(イザヤ6:13)。この栄光は、イザヤによって見られ、高く評価されました。しかし、主の弱い信者たちには愛されませんでした(42―43節)。
ヨハネ 12:44 注1 これは、不信の宗教家たちに対する主の宣言でした。それは次のことを意味します。(1) 彼は人に対して現れた神でした(44―45節)。(2) 彼は光として世に来られました。それは、彼を信じることによって、人が暗やみの中にとどまることがないためです(4636節)。(3) 彼は生ける言葉をもって人に来られました。彼の言葉を受け入れる者はだれでも、今もとこしえまでも永遠の命を持ち、また彼の言葉を拒む者はだれでも、終わりの日に彼の言葉によって裁かれます(47―50節)。
ヨハネ 12:47 注1 第6章63節(6:63)のノート3を参照。次の節も同じ。
ヨハネ 12:50 注1 第3章15節(3:15)のノート1を参照。
ヨハネ 13:1 注1 この福音書で、第1章から第13章の第一区分は、神ご自身としての主が、どのように神の御子として、彼の受肉を通して来て、神を人の中にもたらし、彼が人の命となって召会を生み出されるかを記述しています。第14章から第21章の第二区分は、主が人の子として、どのように死と復活を経過し、人を神の中へともたらして、人と神、神と人が共に建造されて、相互の住まいとなるかを記述しています。この章は、第一区分の終わりであって、その境となる章であり、転換点となります。
ヨハネ 13:4 注1 ここの上着は、主によって表現された主の美徳と特質を象徴します。ですから、彼が上着を脱ぐとは、彼によって表現された彼であるものを脱ぎ去ることを象徴します。
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