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出典

フットノート

ヨハネ 13:4 注2 亜麻布のタオルを示すラテン語から。
ヨハネ 13:4 注3 腰に巻くとは、へりくだりをもって縛られ、制限されることを象徴します(参照、Iペテロ5:5)。
ヨハネ 13:5 注1 ここの水は聖霊(テトス3:5)、言葉(エペソ5:26ヨハネ15:3)、命(19:34)を象徴します。
ヨハネ 13:5 注2 第1章から第12章で、命が来て、再生された者たちで構成された召会を生み出しました。再生された者たちは、彼らの霊の中では、神の中に、また天にいますが、彼らの体の中では、まだ肉の中に生きており、地上を歩んでいます。彼らは地のものとの接触を通して、しばしば汚れます。これは主との交わり、また彼ら相互の交わりを阻害します。ですから、聖霊と言葉と命をもって、洗う必要があるのです。こうして汚れを洗い去ることによって、主との交わり、また互いの交わりが維持されます。それは、血によって罪を洗い去ることではありません(Iヨハネ1:9)。ですから第12章の後、この章でそのようなしるしが必要であるのです。この福音書はしるしの書ですから、この章に記録されているものも、やはり霊的意義を持つしるしと考えられるべきです。足を洗うことは、単に物理的な意味ではなく、霊的な意味で取られるべきです。
ヨハネ 13:5 注3 古代のユダヤ人はサンダルをはきました。それに当時の道路はほこりが多かったので、彼らの足はすぐに汚れました。もし彼らが宴席に来て、食卓に着き、足を伸ばしたのでしたら、汚れと不快なにおいで、確かに交わりは阻害されたでしょう。ですから、その宴席が喜ばしくなるためには、足を洗う必要がありました。主は彼の弟子たちの足を洗って、彼らを極みまで愛していることを示し(1節)、また同じことを互いに愛の中で行なうよう命じられました(1434節)。今日、この世は汚れており、わたしたち聖徒は、容易に汚染されます。わたしたちは、主との交わり、また相互の喜ばしい交わりを維持するために、霊的な足洗いを必要とします。それは、洗う聖霊、洗う言葉、洗う命をもって、主によって彼の愛の中で、また互いに愛の中で行なわれます。これは、わたしたちが、ヨハネによる福音書の継続であるヨハネの第一の手紙に啓示された神聖な命の交わりに生きるために、絶対に必要です。
ヨハネ 13:7 注1 ギリシャ語は、初めの「わかる」は内側の主観的な認識を意味します。二番目は、外側の客観的な知識を意味します。第8章55節(8:55)のノート1を参照。
ヨハネ 13:7 注1 ギリシャ語は、初めの「わかる」は内側の主観的な認識を意味します。二番目は、外側の客観的な知識を意味します。第8章55節(8:55)のノート1を参照。
ヨハネ 13:10 注1 ここの水浴は、「再生の洗い」を意味します(テトス3:5ヨハネ3:5)。
ヨハネ 13:16 注1 「遣わされる者」は、文字どおりには、「使徒」です。
ヨハネ 13:18 注1 文字どおりには、そしゃくする。
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