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出典

フットノート

ヨハネ 14:1 注1 ここで主は、ご自身が神と同じであることを弟子たちに示されました。弟子たちは、主が去って行かれると聞いて、心を騒がせました。この言葉によって、主が神としてどこにでもいて、時間と空間の制限がないことを、彼らに認識させられました。
ヨハネ 14:2 注1 第2章16節(2:16)、21節(2:21)の解釈によれば、「わたしの父の家」とは、神の住まいとしてのキリストのからだ、宮です。初めのうち、キリストのからだは、彼個人の体だけでした。しかし、彼の死と復活を通して、キリストのからだは増し加わって、彼の団体のからだとなりました。それは召会であって、彼の復活を通して再生されたすべての信者を含んでいます(Iペテロ1:3)。キリストの復活の中で、召会はキリストのからだ、すなわち神の家(Iテモテ3:15Iペテロ2:5ヘブル3:6)、神の住まい(エペソ2:21―22)、神の宮です(Iコリント3:16―17)。
ヨハネ 14:2 注2 多くの住まいとは、キリストのからだの多くの肢体であり(ローマ12:5)、キリストのからだは神の宮です(Iコリント3:16―17)。23節(23節)は、これを十分に証明します。そこでは、主と御父は彼を愛する者と共に住まいを造る、と言っています。
ヨハネ 14:2 注3 本書には、二つの主要な区分があります。第一区分は、第1章から第13章で、永遠の言としてのキリストが、どのように受肉を通して来て、神を人の中にもたらし、人の命また命の供給となられるかを見せています。第二区分は、第14章から第21章で、人なるイエスとしてのキリストが、どのように死と復活を通して行き、人を神の中にもたらして、神の住まいを建造されるかを啓示しています。これは召会の建造であり(マタイ16:18)、新エルサレムの建造とも関係があります(ヘブル11:10啓21:2)。全宇宙で、神は唯一の建造を持たれます。それは、彼の贖われた民をもって、彼の生ける住まいを建造することです。
ヨハネ 14:3 注1 「わたしが行って・・・・再び来て」は、主が行く(彼の死と復活を通して)のは、彼が来られる(彼の弟子たちに―1828節)ことであったことを証明します。彼は肉体の中で来て(1:14)、彼の弟子たちの間におられましたが、肉体にあった時には、彼らの中に入ることはできませんでした。彼はさらに進んで、死と復活の段階を経過し、肉体からその霊へと変貌しなければなりませんでした。それは、17節から20節(17―20節)で啓示されているように、弟子たちの中に入り込んで、その中に住むためでした。復活の後、彼は確かに来て、ご自身を聖霊として、弟子たちの中に吹き込まれました(20:19―22)。
ヨハネ 14:3 注2 この章での主の意図は、人を神の中にもたらして、神の住まいを建造することでした。しかし人と神との間には、多くの障害物があります。例えば、単数の罪、複数の罪、死、この世、肉、自己、古い人、サタンなどです。主は人を神の中にもたらすために、これらすべての問題を解決しなければなりませんでした。ですから、彼は十字架に行って、贖いを成し遂げなければなりません。それは、彼が人のために道を開き、人が神の中に入る立場を作るためです。神の中で立場が拡大されたものが、キリストのからだの中の立場です。だれでも神の中にその立場、場所を持たなければ、キリストのからだ、すなわち神の住まいの中に立場はありません。ですから、主が行って、贖いを成し遂げられるのは、弟子たちのために、彼のからだの中に場所を用意するためです。
ヨハネ 14:3 注1 「わたしが行って・・・・再び来て」は、主が行く(彼の死と復活を通して)のは、彼が来られる(彼の弟子たちに―1828節)ことであったことを証明します。彼は肉体の中で来て(1:14)、彼の弟子たちの間におられましたが、肉体にあった時には、彼らの中に入ることはできませんでした。彼はさらに進んで、死と復活の段階を経過し、肉体からその霊へと変貌しなければなりませんでした。それは、17節から20節(17―20節)で啓示されているように、弟子たちの中に入り込んで、その中に住むためでした。復活の後、彼は確かに来て、ご自身を聖霊として、弟子たちの中に吹き込まれました(20:19―22)。
ヨハネ 14:3 注3 主が彼の弟子たちをご自身に迎えるとは、彼らをご自身の中に入れることです。それは、20節(20節)の「あなたがたがわたしの中におり」との言葉で示されています。
ヨハネ 14:3 注4 主は御父の中におられます(10―11節)。彼は、彼の弟子たちも御父の中にいることを願われました。それは、第17章21節(17:21)に啓示されているとおりです。彼は死と復活を通して、彼の弟子たちをご自身の中にもたらされました。主が御父の中におられるのですから、彼らは主の中にいることによって、御父の中にもいます。ですから、彼のおられる所に、弟子たちもいるのです。
ヨハネ 14:6 注1 人が神の中に入る道は、主ご自身です。その道が生けるパースンであるからには、主が人をもたらされる場所も、ひとりのパースン、父なる神ご自身でなければなりません。主ご自身は生ける道であり、それによって人は、生ける場所である父なる神の中にもたらされます。その道は実際を必要とし、実際は命を必要とします。主ご自身は、わたしたちにとって命です。この命は、わたしたちに実際をもたらします。その実際は道となり、その道によって、わたしたちは父なる神を享受することに入り込みます。
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