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出典

フットノート

ヨハネ 15:11 注1 神聖なぶどうの木の枝であることと、実を結んで神聖な命を表現することは、喜びの事柄であり、これはまた喜ばしい生活です。
ヨハネ 15:13 注1 ここのギリシャ語は、「魂」、「魂の命」を意味します。
ヨハネ 15:16 注1 わたしたちは野生の枝でしたが、信仰を通してキリストへと接ぎ木されました。ここで主は、わたしたちを「立てた」と言われました。これは接ぎ木の思想と一致します。
ヨハネ 15:16 注2 ギリシャ語の「出て行って」という言葉は、「出発する」を意味し、別の所に向けて出発することを示しています。ですから、それは「出て行って」と訳されます。これは、第14章4節(14:4)と第16章5節(16:5)の「行く」と同じギリシャ語です。このように出て行って結ぶ実は、実を結ぶ者の品格上の美徳、例えば、ガラテヤ人への手紙第5章22節から23節(ガラテヤ5:22―23)に述べられているような、聖霊が信者たちの生活の中で結ぶ実を意味するのではなく、実を結ぶ者によって生み出される信者たちを意味します。これは、この区分(12:20―17:26)の主題であるキリストの増殖と一致します。わたしたちが主の中に住むことを通して所有する美徳は、キリストの増殖と見なすことはできません。わたしたちが主にあって生み出す信者だけが、キリストの具体的な増殖です。第14章の父の家、この章のまことのぶどうの木、第16章の男の子は、すべてキリストの増殖と関係があります。
ヨハネ 15:16 注3 わたしたちは、出て行って主の中で信者を生み出した後、彼らを顧みる必要があります。最上の方法は、彼らの家庭で集会を設け、彼らを覆い、保護することです。こうして彼らは、養われ、教えられることによって顧みられ、残る実となって、まことのぶどうの木の枝の中で生きるでしょう。すなわち、キリストのからだの中で、キリストの増し加わりとなるでしょう。
ヨハネ 15:16 注4 同じギリシャ語が、この章では「住む」という言葉で用いられています。
ヨハネ 15:16 注5 主の名の中で求めることは、わたしたちが主の中に住み、彼と彼の言葉をわたしたちの中に住まわせて、わたしたちが真に彼と一となることを必要とします。こうして、わたしたちが求める時、彼はわたしたちの求める中で求めてくださいます。このような求めは、実を結ぶことと関係があります。そして、必ず父によって答えられます。7節(7節)のノート2を参照。
ヨハネ 15:17 注1 これは、主の命、神聖な命の中で、主の愛の中で、実を結ぶという彼の使命の中で、互いに愛することです。命は源であり、愛は条件であり、実を結ぶことは目標です。わたしたちがみな、源としての主の命によって、条件としての主の愛の中で、目標としての実を結ぶことのために生きるなら、必ず互いに愛し合うでしょう。異なる命の源、異なる条件、異なる目標は、わたしたちを分離し、互いに愛し合うことができないようにします。
ヨハネ 15:19 注1 文字どおりには、から。
ヨハネ 15:19 注1 文字どおりには、から。
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