出典 |
フットノート |
ヨハネ 16:21 注2 |
このたとえの中で、弟子たちはその当時、産みの苦しみをしている女のようであり、主は彼の復活の中で生み出される子供であることを、主は示されました(使徒13:33.ヘブル1:5.ローマ1:4)。 |
ヨハネ 16:21 注1 |
ここの産むとは、使徒行伝第13章33節(使徒13:33)の生むことです。受肉したキリストは、彼のすべての信者を含めて、彼の復活の中で生まれ、神の子となられました(Iペテロ1:3)。こうして、彼は神の長子となり、そして彼のすべての信者は神の多くの子たちとなって、彼の兄弟たちとして彼の召会を構成し(ローマ8:29.ヨハネ20:17とノート2.ヘブル2:10―12)、彼の増殖(12:24)、彼の増し加わり(3:29―30)、彼のからだ、すなわち彼の豊満、彼の表現(エペソ1:23)となります。 |
ヨハネ 16:22 注1 |
復活の中で生まれた後、彼は復活の日の夕方、弟子たちに会いに来られました。そして弟子たちは、彼の臨在に歓喜しました(20:20)。 |
ヨハネ 16:23 注1 |
あるいは、あなたがたが父に求めるものは何であれ、彼はわたしの名の中であなたがたに与えてくださる。 |
ヨハネ 16:24 注1 |
第15章16節(15:16)のノート5を参照。26節(26節)も同じ。 |
ヨハネ 16:27 注1 |
第1章14節(1:14)のノート5を参照。 |
ヨハネ 16:28 注1 |
幾つかの写本は、父から出て来て、となっています。これらの写本の「から」という言葉は、27節(27節)と同じです。 |
ヨハネ 16:30 注1 |
ここで弟子たちによって使われた「から」という言葉は、「から共に」という意味を含んでいません。それは、27節(27節)で主によって使われた言葉とは異なります。 |
ヨハネ 16:32 注1 |
第8章16節(8:16)のノート1を参照。 |
ヨハネ 17:1 注1 |
これは、この章での主の祈りの主題です。彼は、肉体において受肉した神でした。そして彼の肉体は一つの幕屋であり、この中で、神は地上に住むことができました(1:14)。彼の神聖な要素は、彼の人性の中に閉じ込められていました。それは、神のシェキナの栄光が、幕屋の内側に隠されていたのと同じです。かつて変貌の山で、彼の神聖な要素は彼の肉体から解き放され、栄光の内に現され、三人の弟子たちによって見られました(マタイ17:1―4.ヨハネ1:14)。ところが、それは再び彼の肉体の中に隠されました。主はこの祈りの前に、彼が栄光を受けられること、そして御父は彼の中で栄光を受けられることを、予言されました(12:23.13:31―32)。今や、彼は死を経過しようとしておられます。それは、彼の人性という覆い隠す殻が破られて、彼の神聖な要素、彼の神聖な命が解き放されるためでした。また彼は復活されます。それは、彼の人性を神聖な要素の中に高く上げ、彼の神聖な成分が表現されて、彼の全存在、すなわち神性と人性が栄光を受けられるためでした(12:23のノート1)。こうして御父は、彼の中で栄光を受けられます(12:28のノート1)。ですから、彼はこのために祈られたのです。 神聖な奥義に関する主のここでの祈りは、三つの段階で成就されます。第一に、それは彼の復活において成就されました。復活において、彼の神聖な要素、彼の神聖な命は、彼の人性の内側から彼の多くの信者たちへと解き放されました(12:23―24)。そして、彼の人性を含む全存在は栄光へともたらされ(ルカ24:26)、御父の神聖な要素が、彼の復活と、栄光を受けることで表現されました。彼の復活において、神は彼の祈りに答え、それを成就されました(使徒3:13―15)。第二に、それは召会において成就されました。すなわち、彼の復活の命が彼の多くの肢体を通して表現されたので、主は彼らの中で栄光を受けられ、御父も彼の中で召会を通して栄光を受けられました(エペソ3:21.Iテモテ3:15―16)。第三に、それは新エルサレムにおいて究極的に成就されます。そこでは、彼は栄光の中で完全に表現され、神も彼の中で聖なる都を通して、永遠に栄光を受けられます(啓21:11、23―24)。 主はこのように祈って、彼のパースン、彼の神性を示されました。すなわち、彼は神聖な栄光において、御父と完全に同じであるのです。 |