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出典

フットノート

ヨハネ 20:1 注2 主の復活は達成されました。しかしそれを発見するには、弟子たちが主を愛する愛の中で、追い求める必要がありました。こうして、マグダラのマリヤはそれを発見し、主の新鮮な現れと、彼の復活の結果の啓示にあずかりました。それは、彼の父は彼の中へと信じる者たちの父であり、また彼の中へと信じる者たちは彼の兄弟たちであるという啓示です(17節.参照、17節のノート2と3)。ペテロとヨハネは、その発見について知るだけでした。マリヤがその経験を得ました。兄弟たちは、主の復活の事実を信じる信仰で満足しました。しかしその姉妹はさらに進んで、復活された主ご自身、すなわち主を個人的に経験することを求めました。主はずっとそこにおられましたが、16節(16節)までは、ご自身を現されませんでした。
ヨハネ 20:5 注1 主の復活した体から脱ぎ捨てられて、その墓に残されたものはすべて、彼が身に着けて墓へ入られた旧創造を象徴します。彼は旧創造を共に十字架につけ、旧創造と共に葬られました。しかし、彼はその中から復活して、旧創造を墓の中に残し、新創造の初穂となられました。墓の中に残されたものはすべて、主の復活に対する証しでした。これらのものが、そこに整然と残されていなかったなら、ペテロとヨハネは、主がだれかに取り去られたのではなく、自ら復活されたことを、信じるのは難しかったでしょう(8節)。これらの物は、主の二人の弟子、ヨセフとニコデモによって主にささげられ、主の体を包みました(19:38―42)。彼らが主を愛して彼に行なったことは、主の証しにとても役立ちました(6節の「亜麻布」も同じ)。
ヨハネ 20:7 注1 5節(5節)のノート1を参照。
ヨハネ 20:9 注1 主は命であるだけでなく、復活でもあります(11:25)。ですから、死は彼を捕らえておくことはできません(使徒2:24)。彼は自らの願いによって死の中に入って行き、その働きを達成されました。彼はその任務を果たすと、死から出て来て、死から復活されました。
ヨハネ 20:11 注1 文字どおりには、泣き叫んでいた。13(13節)、15節(15節)も同じ。
ヨハネ 20:17 注1 主は復活の日に、御父へ昇られました。これは秘密の昇天であり、第16章7節(16:7)で行くと予言されたことの究極的成就です。それは、弟子たちの目の前で起こった彼の公の昇天(使徒1:9―11)より、四十日前のことです。復活の日、朝早く、彼は昇天して御父を満足させ、そして夜遅く、弟子たちのいた所に戻って来られました(19節)。彼の復活の新鮮さは、まず父の享受のためでなければなりません。それは、予表において、収穫の初穂がまず神にもたらされたのと同じです。
ヨハネ 20:17 注2 以前、主が彼の弟子たちを呼ぶのに用いられた最も親密な用語は、「友」でした(15:14―15)。しかし彼は復活の後、彼らを「兄弟たち」と呼び始められました。なぜなら復活を通して、彼の弟子たちは、神聖な命で再生されたからです(Iペテロ1:3)。その命は、第12章24節(12:24)に示されたように、彼の命を分け与える死によって解き放されました。彼は一粒の麦でしたが、地に落ちて死に、成長して、多くの穀粒をもたらしました。それは、彼のからだであるパンを生み出すためです(Iコリント10:17)。彼は父のひとり子、御父の個人的な表現でした。父のひとり子は、彼の死と復活を通して、多くの兄弟たちの長子となられました(ローマ8:29)。彼の多くの兄弟たちは、神の多くの子たちであり、召会(ヘブル2:10―12)、御子にある父なる神の団体の表現です。これは神の究極的な意図です。多くの兄弟たちは御父の命の繁殖であり、神聖な命における御子の増殖です。ですから、主の復活において、神の永遠の目的が成就されるのです。
ヨハネ 20:17 注3 主は彼の命を分け与える死と復活を通して、彼の弟子たちをご自身と一つにされました。ですから彼の父は、彼の弟子たちの父であり、彼の神は弟子たちの神です。彼の復活の中で、弟子たちは、彼が持っておられるのと同じように、御父の命と神の神聖な性質を持っています。彼らを彼の兄弟たちとすることで、彼は御父の命と神の神聖な性質を、彼らの中に分け与えられました。彼の父を彼らの父とし、彼の神を彼らの神とすることによって、彼は彼らを御父と神の御前で、彼の地位、すなわち、御子の地位にもたらされました。こうして彼らは、内側で命と性質において、また外側で地位において、彼らが結合された主と同じです。
ヨハネ 20:19 注1 弟子たちの集まりは、ペンテコステ前の召会の最初の集会であると見てよいでしょう。この集会が起こったのは、ヘブル人への手紙第2章10節から12節(ヘブル2:10―12)によれば、詩篇第22篇22節(詩22:22)の成就です。こうして御子は、御父の御名を彼の兄弟たちに言い表し、彼の兄弟たちで構成されている召会の中で、御父をほめたたえられました。
ヨハネ 20:19 注2 戸が閉められていたのに、弟子たちがいたその部屋に、主は復活の体をもって入って来られました(ルカ24:37―40Iコリント15:44)。主は骨と肉をもって、どのようにして入ることができたのでしょう? わたしたちの限られた知性では、それを理解することはできません。しかし、それは事実です! わたしたちはそれを、神聖な啓示によって受け入れなければなりません。これは第16章16(16:16)、19(16:19)、22節(16:22)における彼の約束の成就です。
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