出典 |
フットノート |
マタイ 7:23 注1 |
ここの「知る」は「是認する」を意味します。ローマ人への手紙第7章15節にある同じ言葉は、「わかる」と訳されています。主は、彼の御名の中で預言し、悪鬼どもを追い出し、多くの力あるわざを行なったが(22節)、天の父のみこころにしたがってそれを行なわなかった者たちを、決して是認されませんでした(21節)。主は彼らがそれらの事を行なったことを、否定はされませんでした。しかし彼は、それらの事を不法とされました。なぜなら、それは天の父のみこころにしたがって行なわれたものではないからです。それらは、神聖なみこころに沿う路線で行なわれませんでした。こうして、それらの事を行なう者たちは、たとえ主の御名の中で行なったとしても、天の王国に入れません。彼らはむしろ、主から去ります。すなわち、来たるべき時代に王国の出現から退けられます。 |
マタイ 7:24 注1 |
「岩」は、キリストのことではなく、彼の賢い言葉、天におられる彼の父のみこころを啓示する言葉を言っています。王国の民の生活と働きは、天の父のみこころを達成するための新しい王の言葉の上に、土台づけられていなければなりません。これは狭い門から入り、命に至る細い道を歩くことです。 |
マタイ 7:25 注1 |
雨は神のもので、天から降ってきます。川は人のもので、地から来ます。風はサタンのもので、空中から吹いてきます。これらすべては、王国の民の生活と働きをテストします。 |
マタイ 7:25 注2 |
倒れない岩の上に建てられた家は、金、銀、宝石からできた働きのようです。それは、試練の火に耐えることのできる働きです(Iコリント3:12―13)。 |
マタイ 7:26 注1 |
「砂」は、人の観念や天然の方法のことを言います。もしわたしたちが人の観念や天然の方法にしたがって生き、働くなら、わたしたちの生活と働きは、沈む砂の上に土台づけられます。これは広い門から入り、崩壊に至る幅広い道を歩くことです。 |
マタイ 7:27 注1 |
倒れる砂の上に建てられた家は、木、草、刈り株で建てられた建物のようです。それは試練の火によって焼かれてしまいます。しかし、建てた人自身は救われます(Iコリント3:12―15)。 |
マタイ 7:29 注1 |
キリストは、天の王国の新しい王として、王国の新しい律法を発布する時、権威をもって語られました。 |
マタイ 8:1 注1 |
王国の新しい律法が発布された後、新しい王は、彼の王の務めを遂行するために山から下って来られました。彼が行なわれた最初の事は、汚れた者を清め、病人をいやし、悪鬼どもにとりつかれた者からそれらを追い出すことでした。それは、彼らが天の王国の民となるためでした(2―17節)。 |
マタイ 8:2 注1 |
王なる救い主に救われて王国の民となった人々の第一の部類は、らい病の人で代表されています。聖書のさまざまな例によれば、らい病は反逆と不従順から来ます。ミリアムは神の代表権威に逆らい、その反逆のためにらい病になりました(民12:1―10)。ナアマンのらい病は、彼の従順のゆえに清められました(列王下5:1、9―14)。堕落した人はみな、その反逆のために神の目にらい病となったのです。今や王なる救い主が来て、人々を反逆から救い、らい病から清められます。それは、彼らが王国の民となるためです。 |
マタイ 8:2 注2 |
らい病の人は新しい王を礼拝し、彼を「主」と呼びました。らい病の人は、彼が主なる神であることを認識したのです。実際において、新しい王はエホバ救い主、イエスです(参照、1:21のノート1)。 |