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出典

フットノート

ヨハネ 21:22 注1 主はそこに弟子たちと共におられました。それではどうして、彼は「わたしの来るまで」と言うことができたのでしょうか? 主がそこにおられた以上、来る必要はありません。もし主が彼らを離れようとしており、そして後ほど彼らに戻って来ることを意味したとしたら、どうして、「わたしに従って来なさい」と言うことができたのでしょう? これらすべての疑問に対する答えは、見えない彼の臨在と関係があります。目に見える彼の臨在によれば、彼は離れますが、後になって戻って来られます。しかし見えない彼の臨在によれば、彼は絶えず彼らと共におられます。一方で、彼は彼らと共におられます。そしてもう一方で、彼は彼らから離れておられます。ですから一方で、彼らは彼に従うことができ、またもう一方で、彼らは彼の再来を待たなければならないのです。
 主は彼の復活の後、四十日の間、弟子たちと共にとどまっておられました(使徒1:3―4)。それは、見えない彼の臨在を認識し、それに慣れ、それによって生きるよう、彼らを訓練するためでした。23節(23節)で、主は彼の信者たちの何人かが、死に至るまで彼に従うこと、また何人かは残っていて、彼が来るまで生きていることを示されました。
ヨハネ 21:23 注1 この福音書の最後の二つの章で扱われている事柄の範囲は、非常に広いです。それは、主の復活の発見で始まり、彼の再来で終わります。この二つの出来事の間には、召会時代の、クリスチャン生活と関係のあるすべての事柄があります。すなわち、主に対する愛をもって主を尋ね求めること、復活の主を見ること、彼の現れを経験することによって、主の復活の結果、彼の父はわたしたちの父であり、わたしたちは彼の兄弟たちであるという啓示を受けること、信者たちと集会をして、主の臨在を享受すること、主に聖霊を吹き込まれることと、彼の委託を受け、彼を代表する権威をもって、主によって遣わされること、主にある信仰によってどのように生きるか、また日ごとの生活でどのように主に信頼するかを学ぶこと、主を愛し、天然の力が対処されること、召会建造のために群れを牧すること、見えない主の臨在に慣れること、その中である者は自己の意志によってではなく、彼の導きにしたがって、神の栄光を現すために死に至るまで従い、またある者は彼の再来まで生きることです。
ヨハネ 21:25 注1 この節は、第20章30節から31節(20:30―31)と共に、この福音書が、命と建造の事柄を証しする目的に役立つ事柄を選んで記録したものであることを、確証します。
 マタイによる福音書第28章20節(マタイ28:20)のノート2の第二段落で、主の昇天の記事は、ヨハネによる福音書とマタイによる福音書にはないことが、指摘されています。それが述べられていないのは、今日、復活の後、主が彼の信者たちと共になお地上におり、この時代の終わりまで彼らと共におられるからです。この時代の終わりには、主は見える栄光をもって現れます(Iペテロ1:7IIテサロニケ1:7)。すなわち、彼は見える臨在をもって地上に戻って来て(マタイ16:27)、彼の見える王国を打ち立てられます。マタイによる福音書は、今日、復活の後、見えない天の王国の霊的な王である主は、復活の霊の中でなお地上にいて、見えない臨在の中で天の王国の民と共におられることを啓示し、証ししています。ヨハネによる福音書は、主が三一の神として、肉体と成り(1:14)、神の小羊として(1:29)、人のために彼の贖いの死を成し遂げた後、復活の中で変貌して、命を与える霊と成り(Iコリント15:45)、彼の中へと信じた者たちの中に入って、永遠に彼らの命となり、決して彼らから離れることがないことを啓示し、証しします。ですからヨハネが、昇天して去って行かれることを述べるのは、適当でなかったのです。
 さらに四福音書は、三一の神が来て、どのようにキリストを完成されるか、すなわち、どのようにキリストを完全にされるかの完全な啓示です。ヨハネによる福音書の記録は、この事が特に重要です。すなわち、神によって油塗られ、委託を受け、神の永遠のみこころを達成して、キリストを完成することは、三一の神が肉体と成り、人と結合されることによって、成し遂げられることを示しています。まず、彼はご自身の肉体における死を通して、人のために贖いを成就し、次に復活を通して、変貌してその霊と成られました。それは、彼が信者たちの中に入って(20:22)、彼らと結合し、彼らが三一の神と結合されるためです(17:21)。こうして、彼はキリスト、神の化身となって、人の罪を取り除き、人の中に入って、人の命となることができます。それは、彼らが神の子たちとなり、彼の肢体となって、彼のからだを構成し、三一の神の完全な表現となるためです。こうして、彼は彼らの中にいて、彼らのあらゆる実際となり、目には見えなくても彼らと共におられ、ついには彼らの体が贖われ、変貌するに至ります。その時、彼らは彼の見える臨在の中に入って、彼と完全に結合されるでしょう。そして彼らは完全に彼のようになり、新エルサレムとなります。これは、三一の神と彼の贖われた民との相互の住まいとして、永遠に完成されるでしょう!
使徒 1:1 注2 ルカ第1章3節(ルカ1:3)のノート2を参照。
使徒 1:1 注3 ルカ第1章1節(ルカ1:1)のノート4を参照。
使徒 1:1 注1 ルカ第1章3節(ルカ1:3)のノート1を参照。
使徒 1:2 注1 復活したキリストは、命を与える霊と成られました(Iコリント15:45)。しかし彼は復活の中で、依然として聖霊を通して事を行なわれました(ヨハネ20:22)。
使徒 1:3 注1 これは、弟子たちが訓練されて、主の見えない臨在に慣れ、それを享受するためでした。ヨハネ第20章26節(ヨハネ20:26)のノート3を参照。
使徒 1:3 注3 四十日は、試みとテストの期間です(参照、マタイ4:2のノート1)。
使徒 1:3 注2 復活したキリストは、弟子たちの中に住まわれました。なぜなら復活の日、彼はご自身をその霊として、弟子たちの中に吹き込まれたからです(ヨハネ20:22)。彼の現れは、彼が弟子たちから去られたことを意味するのではありません。それは単に、キリストの臨在を見えるように現し、彼の見えない臨在を彼らがいつでも実感し享受するようにと、彼らを訓練しておられたことを意味します。
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