出典 |
フットノート |
マタイ 8:3 注1 |
律法によれば、らい病の人はその汚れのために、人々から隔離されているべきです。だれも彼に触れることはできませんでした(レビ13:45―46)。しかし新しい王は、一人の人として、また王なる救い主として、このらい病の人に触れられました。何というあわれみと同情でしょう! 彼がほんの少し触れただけで、直ちにらい病は清められました。何というすばらしい清めでしょう! |
マタイ 8:4 注1 |
新しい王は清められたらい病の人に、彼の清めのために旧律法の規定どおりの事を行なうよう命じられました。なぜなら、その時はまだ過渡期であって、旧律法は彼の贖う死によって成就されていなかったからです。 |
マタイ 8:5 注1 |
ローマの軍隊で百人の兵卒を率いる隊長。2節から4節のらい病の人はユダヤ人を代表していますが、5節から13節の百人隊長は異邦人を代表しています。神の御前で、ユダヤ人は反逆と不従順のためにらい病の者、汚れた者となりました。異邦人はその罪深さのために中風の状態、すなわち機能が死んだ状態にありました。王なる救い主はまずユダヤ人に来られ、それから異邦人に来られました(使徒3:26.13:46.ローマ1:16.11:11)。信じるユダヤ人は、主の直接の接触によって救われました(3節)。信じる異邦人は、主の言葉への信仰を通して救われます(8、10、13節)。 |
マタイ 8:9 注1 |
異邦人の百人隊長は、王なる救い主の権威を認め、彼の言葉にいやす権威があることを認識していました。こうして、百人隊長は、王なる救い主を信じただけでなく、彼の言葉をも信じ、彼に来ていただくまでもなく、ただお言葉を下さるようにと願いました。これは一段と強い信仰です。それには救い主も驚かれました(10節)。 |
マタイ 8:10 注1 |
幾つかの古代の写本は、イスラエルのうちにさえ、わたしはこれほど大きな信仰を見たことがない、となっています。 |
マタイ 8:11 注1 |
これは、異邦人が王国の福音にあずかることを示しています(エペソ3:6、8.ガラテヤ2:8―9.ローマ1:13―16)。 |
マタイ 8:11 注2 |
これは天の王国の出現のことを言っています。勝利を得た異邦人の信者たちが、アブラハム、イサク、ヤコブと共に宴席に着くのは、王国の出現においてです。 |
マタイ 8:12 注1 |
王国の子たちとは、良い種である救われたユダヤ人のことです(13:38)。しかし狭い門を入り、細い道を歩く強い信仰がない者たちは(7:13―14)、王国の出現の時、宴席にあずかることができません(ルカ13:24―30)。 |
マタイ 8:12 注2 |
外の暗やみとは、天の王国の出現の時に輝く栄光の外の、暗やみのことです(16:28.25:30)。来たるべき王国で外の暗やみに放り出されることは、千年期の後に永遠に火の池に投げ込まれることとは異なります(啓20:15)。 |
マタイ 8:12 注3 |
泣き叫ぶことは後悔を示し、歯がみすることは自責を示します。 |