出典 |
フットノート |
マタイ 8:14 注1 |
14節から15節のペテロのしゅうとめは、この時代の終わりに、王なる救い主を受け入れて救われるユダヤ人を代表します(ローマ11:25―26)。その時、大患難の期間、ユダヤ人は神以外のものに「熱く」なり、神の目には「熱病」の状態になるでしょう(14節)。王なる救い主は、異邦人の救いが満ちた後、ユダヤ人のこのレムナントが救われるようにと、彼らの所へ戻って来られます(ローマ11:25―26.ゼカリヤ12:10)。ペテロのしゅうとめは、ペテロの家でいやされました。この時代の終わりに、ユダヤ人のレムナントはすべて、イスラエルの家で救われます。彼らはまたユダヤ人のらい病の人(3節)と同じように、主なる救い主の直接の接触によって救われます(15節)。 |
マタイ 8:16 注1 |
「悪鬼にとりつかれた多くの者」や「病んでいるすべての人」は、千年期に地上にいるすべての人を代表します。千年期は旧天旧地の最後の時代です。ですからそれは、旧天旧地の「夕方」と考えられます。千年期には、悪鬼どもを追い出し病をいやす力が、極みまで現されます。ですから、すべての悪鬼にとりつかれた者、すべての病人はいやされます。そのような広範囲に及ぶ力が、来たるべき時代の力です(ヘブル6:5)。この時代での悪鬼を追い出すことや病のいやしは、来たるべき時代における広範囲に及ぶ力の前味わいです。2節から17節に記載されたしるしは時代の意義を持ち、来たるべき王国の縮図を見せています。 2節から16節に記載された四つの事柄の順序は、マルコ第1章29節から第2章1節と、ルカ第4章38節から41節、第5章12節から14節、第7章1節から10節にあるものとは異なっています。マルコの記録の順序は、イエスが神の奴隷であることを示しており、歴史にしたがっています。マタイの記録の順序は、キリストが天の王国の王であることを証明しており、教理にしたがっています。すなわち、マタイは幾つかの事例を寄せ集めて、一つの教理を提示しているのです。ルカの記録の順序は、イエスが正当な人であって人の救い主であることを啓示するもので、道徳にしたがっています。四福音書のうちでもヨハネの記録の順序はキリストは神の子であり、さらに神ご自身でさえあることを証ししており、これも幾らか歴史にしたがっています。 |
マタイ 8:16 注1 |
「悪鬼にとりつかれた多くの者」や「病んでいるすべての人」は、千年期に地上にいるすべての人を代表します。千年期は旧天旧地の最後の時代です。ですからそれは、旧天旧地の「夕方」と考えられます。千年期には、悪鬼どもを追い出し病をいやす力が、極みまで現されます。ですから、すべての悪鬼にとりつかれた者、すべての病人はいやされます。そのような広範囲に及ぶ力が、来たるべき時代の力です(ヘブル6:5)。この時代での悪鬼を追い出すことや病のいやしは、来たるべき時代における広範囲に及ぶ力の前味わいです。2節から17節に記載されたしるしは時代の意義を持ち、来たるべき王国の縮図を見せています。 2節から16節に記載された四つの事柄の順序は、マルコ第1章29節から第2章1節と、ルカ第4章38節から41節、第5章12節から14節、第7章1節から10節にあるものとは異なっています。マルコの記録の順序は、イエスが神の奴隷であることを示しており、歴史にしたがっています。マタイの記録の順序は、キリストが天の王国の王であることを証明しており、教理にしたがっています。すなわち、マタイは幾つかの事例を寄せ集めて、一つの教理を提示しているのです。ルカの記録の順序は、イエスが正当な人であって人の救い主であることを啓示するもので、道徳にしたがっています。四福音書のうちでもヨハネの記録の順序はキリストは神の子であり、さらに神ご自身でさえあることを証ししており、これも幾らか歴史にしたがっています。 |
マタイ 8:17 注1 |
堕落した人々に対して成し遂げられたすべてのいやしは、主の贖いに基づいています。彼は十字架上でわたしたちの弱さを取り去り、わたしたちの病を担って、わたしたちのために全きいやしを成し遂げられました。しかしながら、神聖な力によるいやしの適用は、この時代では前味わいであるにすぎず、来たるべき時代において、その全き味わいを得ることができます。 |
マタイ 8:18 注1 |
主はその務めにおいて、四福音書に記録されているように、常に群衆から退かれました。彼は、好奇的な者たちが彼と共にいることを欲しませんでした。彼は群衆にではなく、誠実に彼を追い求める者たちだけを顧みられました。 |
マタイ 8:19 注2 |
文字どおりには、去られる。 |
マタイ 8:19 注1 |
彼はこう言った時、その代価を考えていませんでした。ですから、王は20節のような答えをして、彼にその代価を考えさせられました。 |
マタイ 8:20 注1 |
新しい王は、第16章13節から17節までは、彼の王の務めにおいて絶えず人の子の立場を取られました。 |
マタイ 8:20 注2 |
きつねや鳥は休む所があるのに、王国の王は、休む所さえ持っておられませんでした。これは、彼が確立しようとしておられた王国が、地的性質の物質的なものではなく、天の性質の霊的なものであったことを証明します。 |
マタイ 8:21 注1 |
この弟子は聖書学者ではありませんでした。彼はこう言って、天の王国の王に従うことの代価について、考えすぎました。ですから、王は従って来るよう励まして、代価の考慮はやめ、父の葬りは他の人に任せるようにと答えられました。 |