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出典

フットノート

使徒 8:1 注1 これは、一つの都市を管轄とする一つの地方に設立された最初の召会であり(参照、5:11のノート1)、エルサレム市にありました。それはその地方にある地方召会であり、マタイによる福音書第18章17節(マタイ18:17)で主が示されたものです。それは、マタイによる福音書第16章18節(マタイ16:18)で主が啓示された宇宙召会ではなく、キリストのからだである(エペソ1:22―23)宇宙召会の一部分にすぎません。この事に関する記録(地方における召会の設立)は、新約聖書を通して一貫しています(13:114:23ローマ16:1Iコリント1:2IIコリント8:1ガラテヤ1:2啓1:411)。
使徒 8:4 注1 第1章8節(1:8)の主の言葉を成就するために、迫害を通してエルサレムから信者たちを他の地方に散らすことが福音の開展を遂行することになったのは(11:19)、神の主権でした。
使徒 8:5 注1 このピリポは、十二使徒の一人であるピリポではなく(1:13)、食卓に仕えるために使徒たちに任命された七人のうちの一人のピリポです(6:5)。しかし、この章で記録されているように、彼の福音の宣べ伝えの務めを通して、彼が伝道者であることが明らかにされています(21:8)。
使徒 8:5 注2 これは、主の福音伝道の動きにおける、さらに進んだ段階でした。これによって、彼はご自身を神の王国の種として、人種的に純粋なユダヤ人から、混血のサマリヤ人へ広められました。これは、第1章8節(1:8)の彼の予言を成就するためです。
使徒 8:12 注1 ピリポは主が行なわれたのと同じように、神の王国を福音として宣べ伝えました(マルコ1:14―15.ルカ4:43とノート1)。
使徒 8:13 注1 第2章43節(2:43)のノート2を参照。
使徒 8:15 注1 第2章38節(2:38)のノート8の第二段落を参照。
使徒 8:16 注1 これは、サマリヤの信者たちが主を信じた時、本質的に彼らの内側に聖霊を受けていなかったという意味ではありません。エペソ人への手紙第1章13節(エペソ1:13)とガラテヤ人への手紙第3章2節(ガラテヤ3:2)の新約の教えによれば、彼らは主を信じて再生された時に(ヨハネ3:636)、本質的に聖霊を受けていたはずです。しかし彼らは、その霊をエコノミー的に受けて、キリストのからだに結合されていませんでした。聖霊が彼らの上に外面的に、またエコノミー的に下らなかったのは、使徒たちが来て、彼らをキリストのからだの結合へもたらすようになるためでした。使徒たちを通して、召会の実際的な設立は、エルサレムで開始されました。この事例は、コルネリオの家にいた人たちとは異なっています。エルサレムでは、彼らは主を信じ再生された時、内側に本質的に聖霊を受けると共に、彼らの上にエコノミー的にも聖霊を受けて、キリストのからだの中へとバプテスマされ(Iコリント12:13)、キリストのからだに結合されました。なぜなら、福音はその時、直接ペテロによって宣べ伝えられたからです。ペテロは召会の実際的な設立の開始において、主要な役割を果たしました。
使徒 8:16 注3 サマリヤの信者たちは、力の霊を外面的に、エコノミー的に受けていませんでしたが、主イエスの御名の中へと、すなわち主ご自身の中へとバプテスマされたのですから、確かに内側に命の霊を本質的に受けたはずです。それは、彼らが主から生まれるためだけでなく、主に結合されるためでもありました(Iコリント6:17)。
使徒 8:16 注2 「御名の中に」ではなく、「御名の中へと」。名はパースンを意味します。主イエスの御名の中へとバプテスマされるとは、主のパースンの中へとバプテスマされることであり、十字架につけられ、復活し、昇天したキリストと同一化され、生ける主との有機的結合へと入れられることです。第2章38節(2:38)のノート3とマタイ第28章19節(マタイ28:19)のノート4を参照。
 マタイによる福音書第28章19節(マタイ28:19)で、主は信者たちを父と子と聖霊の名の中へとバプテスマするよう、弟子たちに命じられました。しかし後ほど、実際には、ここと第19章5節(19:5)で、信者たちは主イエスの御名の中へとバプテスマされ、そしてローマ人への手紙第6章3節(ローマ6:3)とガラテヤ人への手紙第3章27節(ガラテヤ3:27)では、キリストの中へとバプテスマされました。これは、次のことを示しています。(1) 主イエスの御名の中へとバプテスマされることは、父と子と聖霊の名の中へとバプテスマされることに等しい。なぜなら、主イエスは三一の神、神ご自身の化身であるからです(コロサイ2:9)。(2) 三一の神の御名の中へと、あるいは主イエスの御名の中へとバプテスマされることは、キリストのパースンの中へとバプテスマされることに等しい。
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