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出典

フットノート

使徒 8:32 注1 贖い主キリストのことを言っています。宦官が、福音の宣べ伝えに絶好の箇所である、罪人を贖う小羊としてのキリストに関するこの箇所を開いていたのは、その霊が主権をもって導いておられたからに違いありません。
使徒 8:36 注1 これは、ピリポがその宦官に、水のバプテスマを宣べ伝えたことを示します。この福音の事例では、水のバプテスマが特に強調されましたが、霊のバプテスマについては何も述べられませんでした。これは、わたしたちが、霊のバプテスマに注意を払うだけでなく、信者たちがキリストの死と復活に同一化することを象徴する水のバプテスマ(ローマ6:3―5コロサイ2:12)に注意を払わなければならないことを、強く示しています。霊のバプテスマは、本質的には命において、エコノミー的には力において、信者がキリストと結合される実際を象徴します。水のバプテスマは、その霊の実際を信者たちが確認することです。両方とも必要であり(参照、10:47)、互いに置き換えることはできません。キリストを信じるすべての人は、正しく両方を持つべきです。それは、イスラエルの子たちが(その霊を象徴する)雲の中と(水を象徴する)海の中でバプテスマされたのと同じです(Iコリント10:2)。マルコ第1章8節(マルコ1:8)のノート1、ヨハネ第3章5節(ヨハネ3:5)のノート2、Iヨハネ第5章6節(Iヨハネ5:6)のノート1を参照。
使徒 8:37 注1 多くの古い写本は、この節を省いています。
使徒 9:2 注1 神の新約エコノミーにおける主の全き救いを示しています。それは、キリストの贖いとその霊の油塗りを通して、神がご自身を信者たちの中に分与される道です。それは、信者たちが神にあずかり、神を享受する道です。それは、信者たちが神を享受して霊の中で神を礼拝し、神と一つになって、迫害されたイエスに従って行く道です。それは、信者たちが召会へもたらされ、キリストのからだへと建造され、イエスの証しをする道です(参照、IIペテロ2:2のノート2、2:15のノート1、2:21のノート1)。
使徒 9:4 注1 主なるイエスと彼のすべての信者から成るひとりの団体的な「わたし」。サウロはこの啓示を持っていませんでした。彼は、ステパノや、彼が異端と考えるこの「道」にある、他のイエスに従う者たちを迫害していると思っていました(24:14)。彼は、これらの人たちを迫害している時、イエスを迫害していたことを知りませんでした。なぜなら、彼らはイエスにある信仰を通してイエスと結合され、イエスと一であったからです。彼は、地上の人々を迫害していると考えており、天上のだれかに触れているとは決して思いませんでした。とても驚いたことに、天からの声が彼に、わたしはあなたが迫害している者である、わたしの名はイエスである、と告げたのです。彼にとって、これは全宇宙における唯一の啓示でした! 彼はこれによって、主イエスと彼の信者たちが、ひとりの偉大なパースン―すばらしい「わたし」であることを見始めました。これは、神の偉大な奥義であるキリストと召会について、彼の将来の務めに印象を与え、影響を及ぼし(エペソ5:32)、彼のユニークな務めに対して堅固な土台を据えたに違いありません。
使徒 9:5 注1 サウロは、彼がだれであるかも知らずに、「主よ」と呼びました(参照、ローマ10:13)。
使徒 9:6 注1 主はサウロの回心の直後、彼に何をしてもらいたいのかを、直接告げようとはされませんでした。これは、主のからだとの結合に引き入れる主のからだの肢体が、彼に必要であったからです。彼は主によって直接救われて、主にもたらされたのであって、何かの経路を通して間接的に救われたのではありません。しかし、彼に接触するよう主に遣わされた彼のからだの肢体がなければ、彼のからだのどの肢体も、サウロを受け入れることは困難であったでしょう(参照、26節)。これは、キリストのからだに関するサウロの知識と、キリストのからだのための彼の後の務めと関係があります(コロサイ1:24)。
使徒 9:8 注1 これは、サウロに対する主の取り扱いでした。これ以前に、サウロは、自分は驚くほど知識があり、人と神に関するすべてのことを知っていると、考えていたことでしょう。今や主は彼を盲目にされたので、主がサウロの目、特に彼の内側の目を開き、他の人の目を開くことが彼に委託されるまで、サウロは何も見ることができませんでした(26:18)。
使徒 9:11 注1 主が彼のからだの一肢体、アナニヤをサウロに遣わされたのは、サウロがキリストのからだとの結合に入るためでした。これはまたサウロに、キリストのからだの重要性を印象づけ、救われた信者に、キリストのからだの肢体が必要であることを認識するのを助けたに違いありません。
使徒 9:12 注1 あるいは、再び得る。盲目のサウロが視力を得たのは、彼が完全に救われたことを意味します。これは彼にとって非常に重要なことでした。神の奥義と神のエコノミーとに関する神の事柄を見るために、彼の内側の目が開かれたことは特に重要でした。
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