出典 |
フットノート |
使徒 13:38 注2 |
原文は、複数。 |
使徒 13:39 注1 |
文字どおりには、の中で。 |
使徒 13:39 注2 |
罪が赦されることは消極面であり(38節)、わたしたちを罪定めから解放するためです。義とされることは積極面であり、わたしたちが神と和解して、彼に受け入れられるためです。 |
使徒 13:43 注1 |
第2章10節(2:10)のノート1を参照。 |
使徒 13:43 注2 |
第11章23節(11:23)のノート1を参照。 |
使徒 13:46 注1 |
神の言葉を押しのけることは、その者が自分の判断によって、永遠の命に値しない者であることを証明しています。48節(48節)のノート1を参照。 |
使徒 13:47 注1 |
この言葉はイザヤ書第49章6節(イザヤ49:6)からの引用であって、神のしもべであるキリストのことを言っています。神はキリストを異邦人の光として、救いを地の果てにまで到達させられました。使徒パウロは、キリストにある神の救いを遂行する上でキリストと一つですから、この予言の言葉を、福音を宣べ伝える務めの中で自分自身に適用しました。それは、ユダヤ人が福音を拒否したために、福音が彼らから異邦人へ方向転換することを言っています。主は地上での彼の務めにおいて、頑固なユダヤ人に同じことを、ルカによる福音書第4章24節から27節(ルカ4:24―27)で言い表されました。 |
使徒 13:47 注2 |
文字どおりには、救いのためである。 |
使徒 13:48 注1 |
あるいは、命じられた。福音を拒否することは、その人が永遠の命に値しないことの証拠です(46節)。福音を信じることは、その人が神によって永遠の命に定められている、あるいは命じられていることの証拠です。人が救われるための神の定め、予定は、ご自身の主権によります。しかし、神は人の自由意志に任せられます。人が彼の救いを信じるか、退けるかは、人自身の決定によります。 |
使徒 13:52 注1 |
ギリシャ語は「プレロー(pleroo)」で、内側で満たされる。第2章4節(2:4)のノート2を参照。この満たしは、聖霊が命のために本質的に満たすことであり、力のためではありません。喜びは命の事柄であって、力の事柄ではないことが、これを証明します。 |