出典 |
フットノート |
マタイ 9:4 注1 |
幾つかの古代の写本は、見て、となっています。これは、主が霊の中で直感されたことです(マルコ2:8)。 |
マタイ 9:5 注2 |
原文は、複数。 |
マタイ 9:5 注3 |
主の救いはわたしたちの罪を赦すだけでなく、わたしたちを起こし、歩かせます。わたしたちがまず起き上がって歩き、それから罪が赦されるのではありません。そのような救いは働きによります。むしろ、まずわたしたちの罪が赦され、それから起きて歩くのです。このような救いは恵みによります。 |
マタイ 9:5 注1 |
主は、「どちらが難しいか」とは言われませんでした。なぜなら、彼には何事も難しくはないからです。彼が「あなたの罪は赦された」と言うことは、「起き上がって歩きなさい」と言うことよりも、たやすかったのです。 |
マタイ 9:6 注2 |
原文は、複数。 |
マタイ 9:6 注1 |
罪を赦すことは、地上での権威に関する事柄です。神によって権威が与えられ、罪人を贖うために死のうとしておられたこの王なる救い主だけが、そのような権威を持っておられました(使徒5:31.10:43.13:38)。この権威は、天の王国を設立するためです(16:19)。 |
マタイ 9:6 注3 |
主はその中風の者を歩かせるだけでなく、彼の床を取り上げさせて歩かせることさえできました。以前は床が彼を担いました。今や彼が床を担います。これは主の救いの力です。 |
マタイ 9:6 注4 |
この中風の者は、他の人によって主のもとに運ばれて来ました。しかし彼は一人で家に帰りました。これは、罪人が主に行くことができるのではなく、罪人が主の救いによって、主のもとから行くことができることを示しています。 |
マタイ 9:7 注1 |
中風の者が起き上がり、帰って行ったことは、彼がいやされたことを証明しました。そして彼がいやされたことは、彼の罪が赦されたことを証明しました。 |
マタイ 9:9 注1 |
マタイはレビとも呼ばれました(マルコ2:14.ルカ5:27)。彼は取税人でしたが(10:3)、救われた後、神の恵みによって使徒になりました(10:2―3.使徒1:13)。彼はこの福音書の筆者でした。 |