出典 |
フットノート |
使徒 15:1 注1 |
異邦人信者たちにユダヤ教の影響を及ぼそうとする強い目的をもって。 |
使徒 15:1 注2 |
これは、神の新約エコノミーにおけるその信仰を、無効にすることです。それは真の異端です。ですから、クリスチャンの兄弟たちにこの異端を教えた「ある人たち」とは、ガラテヤ人への手紙第2章4節(ガラテヤ2:4)で、パウロが偽兄弟と考えた人たちであったのでしょう。 |
使徒 15:1 注4 |
モーセの慣例を守ること、すなわち、律法の外側の規定を実行することは、神の恵みを無効にし、キリストの死を無駄にすることであるだけでなく(ガラテヤ2:21)、キリストが解放した信者たちを、律法の奴隷状態に連れ戻すことでもあります(ガラテヤ5:1.2:4)。 |
使徒 15:1 注3 |
第11章2節(11:2)のノート1と第10章14節(10:14)のノート1を参照。割礼されることは、神の新約エコノミーでは、キリストを信者たちにとって無益なものとすることです。 |
使徒 15:2 注1 |
これは、パウロとバルナバが最大の異端の一つに対抗して、その信仰(ユダ1:3)のために戦うことでした。それは、福音の真理が、いつまでも信者たちにとどまるためでした(ガラテヤ2:5)。 |
使徒 15:2 注2 |
パウロとバルナバと他の何人かがエルサレムの使徒たちと長老たちのもとに行ったのは、エルサレムが神の動きの本部であったからでもなく、エルサレムに在る召会が他の諸召会を統制するかしらの召会であったからでもありません。それは、エルサレムが、割礼に関する異端の教えの出てきた源であったからです。その問題を解決し、そのもめごとの根を抜くために、彼らはその源に行く必要がありました。神の新約エコノミーによれば、ローマ・カトリック教会の状態のように、地上における神の動きのための本部や、他の諸召会を統制するかしらの召会はどこにもありません。新約エコノミーにおける神の動きの本部は、天にあります(啓4:2―3.5:1)。そしてすべての召会を支配する方は、召会のかしらであるキリストです(コロサイ1:18.啓2:1)。 |
使徒 15:3 注1 |
パウロとバルナバと他の何人かがエルサレムに上ったのは、彼ら自身の個人の動きではなく、召会の動きでした。彼らは召会を離れて、個人的に行動したのではなく、団体的に召会の中で、召会と共に行動しました。これは、キリストのからだの動きでした。 |
使徒 15:5 注1 |
マタイ第3章7節(マタイ3:7)のノート1を参照。 |
使徒 15:5 注2 |
1節(1節)のノート3を参照。 |
使徒 15:5 注3 |
1節(1節)のノート4を参照。 |