出典 |
フットノート |
使徒 15:6 注1 |
これは、宇宙召会の使徒たちと、エルサレムに在る地方召会の長老たちによって開かれたユニークな集会でした。この二つのグループは、地上における主の新約の動きにおける指導者でした。その集会に司会者はいません。主宰者は、その霊(28節)、ニューマ的(その霊である)キリスト、召会のかしら(コロサイ1:18)、万民の主(10:36)でした。「多くの討論があった」のは(7節)、その集会であらゆる人が語る自由を持っていたことを示します。その決定は、以下のことに基づいてなされました。(1) ペテロによって分け与えられた証し(7―11節)。(2) バルナバとパウロによって詳しく述べられた事実(12節)。(3) ヤコブの結論の言葉(13―21節)。ヤコブは、エルサレムでは使徒たちや長老たちの間のリーダーでした(12:17.21:18.ガラテヤ1:19.2:9)。それは、彼の敬虔によって、彼が信者たちに及ぼした影響のゆえです(参照、ヤコブ1:4のノート1)。 |
使徒 15:7 注1 |
第1章16節(1:16)のノート1を参照。 |
使徒 15:7 注2 |
文字どおりには、昔の、古い。 |
使徒 15:9 注1 |
外側の律法順守の規定を、神は顧慮されないことを示します。この規定は、人の内側を清めることはできません。神は人の心の内側の清めを顧慮されます。これは、マルコによる福音書第7章1節から23節(マルコ7:1―23)での主の強調と一致します。人の心を清めることは、死んだ文字の外側の規定によってではなく、神聖な命を伴う聖霊によってはじめて成し遂げられます。 |
使徒 15:10 注1 |
律法のくびき。それは、奴隷状態にある束縛でした(ガラテヤ5:1とノート4)。奴隷状態の律法を守ることを人に要求することは、人を奴隷にするだけでなく、神を試みることです。神でさえ、死んだ文字の律法を人に守らせることはできませんでしたし、守らせようともされません。 |
使徒 15:11 注1 |
この恵みは、主のパースン(参照、ガラテヤ2:21のノート1)と主の贖いのみわざ(ローマ3:24)を含んでいます。ペテロとユダヤ人信者たちは、モーセの律法を守ることによってではなく、この恵みによって救われました。神の救いに関する限り、律法を守ることは、ユダヤ人にも異邦人にも何の意味もありません。 |
使徒 15:13 注1 |
文字どおりには、静かになると。 |
使徒 15:13 注2 |
第1章16節(1:16)のノート1を参照。 |
使徒 15:14 注1 |
すなわち、シモン(ヨハネ1:40、42)。 |
使徒 15:16 注1 |
イスラエル王国。ダビデの幕屋を再建するとは、イスラエル王国を復興することです(1:6)。 |