出典 |
フットノート |
使徒 15:17 注1 |
あるいは、その上でわたしの名が呼ばれている者たち。 |
使徒 15:18 注1 |
あるいは、世の基が置かれた時から。 |
使徒 15:21 注1 |
これは、ヤコブが与えた結びの言葉が、彼の強いユダヤ教の背景のゆえに、モーセの律法の影響下にあったことを示しています(参照、ヤコブ1:26のノート1と2:10のノート1)。パウロが最後にエルサレムを訪問した時でさえ、この背景の影響が残っていました(21:20―26)。 |
使徒 15:21 注2 |
ヤコブ第2章2節(ヤコブ2:2)のノート1を参照。 |
使徒 15:26 注2 |
文字どおりには、魂。彼らの命だけではなく、彼らの存在そのものも、主の御名のために投げ出したことを言っています。 |
使徒 15:26 注1 |
文字どおりには、渡した、放棄した。 |
使徒 15:29 注1 |
文字どおりには、強くありますように。 |
使徒 15:32 注1 |
Iコリント第12章28節(Iコリント12:28)のノート3を参照。 |
使徒 15:34 注1 |
幾つかの写本は、この節を省いています。 |
使徒 15:39 注1 |
バルナバとパウロは、主の御名のために命を投げ出した人たちでした(26節)。しかし、割礼の異端に対する信仰のための戦いで勝利した直後、一方の親類であった一人について、彼らの間に激しい論争が起こりました。そこで、彼らは互いに別れてしまいました。この問題の責任はバルナバにあったはずです。なぜならこの出来事の後、彼はもはや神の新約エコノミーにおける主の動きに関する、使徒行伝の神聖な記録に現れないからです。彼の失敗の理由は、マルコが彼のいとこであったという天然の関係であったかもしれません(コロサイ4:10)。マルコが、バルナバとパウロの第一回目の務めの旅行の時に彼らを離れたのは、消極的なことでした(13:13とノート1)。マルコはその後、パウロの務めに回復されました(IIテモテ4:11.ピレモン1:24)が、バルナバは回復されませんでした。個人的な関係のゆえに生じる同労者間の議論は恐ろしいものです! このことをよくよく心に留めてください! |