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出典

フットノート

マタイ 9:9 注2 主に従うことは、彼を信じることを含みます。彼を信じることなしに、彼に従って行くことはあり得ません。主を信じることは救われることであり(使徒16:31)、彼に従って行くことは、狭い門から入り、細い道を歩いて、天の王国にあずかることです(7:13―14)。
マタイ 9:9 注3 この節の記録によれば、ここで主は初めてマタイに会われたようです。主の言葉や彼の外見には、引き付ける力があって、マタイを彼に従わせたに違いありません。
マタイ 9:10 注1 これはマタイの家でした(ルカ5:29マルコ2:15)。この福音書の筆者であるマタイは、主のために大宴会を催したのは自分であり、自分の家であったことをあえて言いませんでした。これは彼のへりくだりです。
マタイ 9:10 注2 第5章46節のノート2を参照。
マタイ 9:11 注1 第3章7節のノート1を参照。
マタイ 9:11 注2 この質問は、自分を義とするパリサイ人が、神の恵みを知らなかったことを示します。彼らは、神が人を取り扱われるのは義にしたがってだけだと思っていました。こう尋ねることによって、彼らが天の王の反対者であり、彼を拒絶していることが暴露されました。これは、ユダヤ教の指導者たちによって3節で始まった、天の王を拒絶することの継続です。
マタイ 9:12 注1 王国のために従うよう人々を召すことで、天の王国の王は、裁判官としてではなく、医者として務めをされました。裁判官の裁きは義にしたがって行なわれますが、医者のいやしはあわれみと恵みにしたがって行なわれます。彼が天の王国の民とした人たちは、らい病の人(8:2―4)、中風の人(8:5―139:2―8)、熱病の人(8:14―15)、悪鬼にとりつかれた者(8:1628―32)、あらゆる種類の病人たち(8:16)、軽べつされた取税人、罪人たち(9―11節)でした。彼がこれらのあわれな人たちを裁判官として訪れたとしたら、すべての人は罪に定められ、退けられたでしょう。そうであれば、彼の天の王国の民として資格づけられ、選ばれ、召される者は、一人もなかったでしょう。しかしながら、彼は医者として仕えるために来られました。そして彼らをいやし、回復し、生かし、救われました。それは、彼らが新しい天的市民として再構成され、彼が彼らをもって、この堕落した地上に彼の天的王国を設立するためでした。
マタイ 9:12 注2 ここの主の言葉は、自分を義とするパリサイ人が、医者としての主が自分たちの必要であったのを認識していなかったことを暗示しています。彼らは自分を強いと見なしました。彼らは自分を義とすることによって盲目にされ、自分が病んでいたことがわかりませんでした。
マタイ 9:13 注2 あわれみは、人が神から受ける恵みの一部分です(参照、ヘブル4:16のノート2)。しかし自分を義とする者たちは、神からあわれみや恵みを受けることを好みません。彼らは神にいけにえを供えたり、神に何かをささげたりすることを好みます。これは、神のエコノミーにおける神の道と対照的です。神があわれな罪人にあわれみを示すことを願われるように、わたしたちにも、他の人に愛の中であわれみを示すことを、神は願っておられます(ミカ6:6―8マルコ12:33)。
マタイ 9:13 注1 自分を義とするパリサイ人は、自分たちは神に関する事柄をすべて知っていると確信していました。彼らをへりくだらせるために、主はもっと学ぶようにと告げられました。
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