出典 |
フットノート |
使徒 20:32 注3 |
ここのギリシャ語は、地所の分け前の合法的な相続を意味します。参照、第26章18節(26:18)のノート6。 |
使徒 20:34 注1 |
天幕造り(18:3)。 |
使徒 20:35 注1 |
あるいは、虚弱な人たち。体の弱い人たち(Iコリント11:30)のことを言っています。ですから、貧しい人たちです。 |
使徒 20:35 注2 |
この言葉は四福音書には記録されていません。それは、口伝えで受け継がれたに違いありません。 |
使徒 21:4 注1 |
第20章23節(20:23)で、聖霊はパウロに、縄目と患難がエルサレムで彼を待っていることを知らせられました(参照、そこのノート1)。今や、その霊はさらに進んで、キリストのからだの何人かの肢体を通して、エルサレムに行かないようにと告げられました。パウロはからだの生活を実行していたので、この言葉をかしらからの言葉として受け取り、それに従うべきでした。 |
使徒 21:8 注1 |
パウロはどこへ行っても兄弟たちを訪問し、彼らの所に滞在しました(4、7節)。パウロは実際に召会のからだの生活を実行し、キリストのからだについて自分が教えたことにしたがって生きていました。 |
使徒 21:11 注1 |
再び、聖霊はパウロに、エルサレムで何が彼に降りかかるかを(参照、20:23のノート1)、間接的に、キリストのからだの肢体を通して、前もって告げられました。これは再び予言の性質を持った警告であり、命令ではありませんでした。再度、かしらが彼のからだを通して語られたのです(参照、4節のノート1)。パウロはからだの生活を実行していたので、この語りかけに聞き従うべきでした。 |
使徒 21:12 注1 |
筆者のルカを含んでいます。ここでキリストのからだは、多くの肢体を通して、その感覚を言い表し、パウロにエルサレムへ行かないようにと懇願しました。しかし、主のためには命を犠牲にすることさえ覚悟していた(13節)強い意志のゆえに、パウロは聞き入れようとしなかったので、キリストのからだの肢体は、この問題を主のみこころにゆだねるほかありませんでした(14節)。 |
使徒 21:16 注1 |
エルサレムで。 |
使徒 21:17 注1 |
これは、第18章23節(18:23)で始まった、パウロの第三回目の務めの旅行の終わりでした。 |