出典 |
フットノート |
使徒 28:30 注2 |
すなわち、ルカ第8章40節(ルカ8:40)でのように、歓迎をもって受け入れる。 |
使徒 28:31 注2 |
神の王国は、本書の強調点の一つです。ルカのこの文書は、神の王国で始まり(1:3)、神の王国で終わります。 実際には、この書はここで終わってはいません。むしろ、それは開かれたままであり、追加されるのを待っているのです。その理由は、聖霊がキリストの信者たちを通して、キリストを宣べ伝え、彼を増殖し、拡増し、普及させる働きが、まだ完成されておらず、長期間にわたる継続が必要であったからに違いありません。キリストを増殖し、拡増し、普及させるそのような福音の働きは、神の新約エコノミーにしたがったものです。それは、神のために多くの子供たちを生み出し(ローマ8:29)、彼らがキリストの肢体となって、彼のからだを構成し(ローマ12:5)、神の永遠のご計画を遂行し、彼の永遠のみこころを成し遂げることです。このことは、本書に続く二十一の書簡と啓示録で、詳細に啓示されています。キリストの増殖と拡増によって生み出された召会は、神が表現され、神がキリストにおいて統治される領域です。ですから、召会は神の王国となります。神の王国は、神の命から出て、キリストの増殖と拡増に伴って成長し、普及していきます。使徒行伝は、キリストが普及していく記録です。それはまた、神の王国の記録でもあります。なぜなら、神の王国はキリストの拡大であるからです。本書で広範囲にわたって宣べ伝えられた福音は、福音としてのキリストご自身(5:42)、すなわちキリストの福音であり、また福音としての神の王国(8:12)、すなわち神の王国の福音でもあります。そのような福音を宣べ伝えることは、全地がキリストの王国となるまで(啓11:15)、継続し前進するでしょう。 四福音書で、神は、受肉し、人の生活を経過し、死に、復活した、三一の神の化身であるキリストを完成されました(コロサイ2:9)。使徒行伝では、この神の化身である方が、命を与える霊として(Iコリント15:45)、キリストを彼の信者たちの中に拡大させられます。すなわち、手順を経た三一の神を、神に選ばれ、贖われ、造り変えられた人人の中へ造り込んで、彼らを、神が表現される召会の構成要素とします。召会の最終結果は、永遠の未来における新エルサレムであり、神の全き、永遠の表現です。それは、神の永遠の王国でもあり、神が永遠にあって、彼の神聖な命の中で、永遠にわたって統治する領域です。これが、今日すべての福音の宣べ伝えの実際と目標であるべきです。 |
使徒 28:31 注1 |
これは、第27章2節(27:2)で始まった、使徒の第四回目の務めの旅行の終わりです。 |
ローマ 1:1 注3 |
「キリスト」はヘブル語の「メシヤ」と等しく、「油塗られた者」を意味します(ヨハネ1:41.ダニエル9:26)。本書は、個人的なキリスト(四福音書に啓示された)が、どのようにしてすべての信者と集合的に構成されて、団体のキリスト(使徒行伝に啓示された)となることができるかを説明します。聖書の事実と聖霊の中の経験によって、パウロは神の新約エコノミーを見せています。神の新約エコノミーとは、罪人を神の子たち、またキリストの肢体としてキリストのからだに構成し、キリストを表現することです。本書は神の目標の完全な定義を与え、クリスチャン生活と召会生活の概要と詳細を明らかにしています。 本書は八つの区分に分けることができます。それは、序言、罪定め、義認、聖別、栄光化、選び、造り変え、結びです。これら八つの区分は、三つの主要な点、すなわち、救い(1:1―5:11.9:1―11:36)、命(5:12―8:39)、建造(12:1―16:27)から成っています。 |
ローマ 1:1 注4 |
「イエス」はヘブル語の「ヨシュア」と等しく、「エホバの救い」、あるいは「エホバ救い主」を意味します(マタイ1:21.民13:16.ヘブル4:8)。 |
ローマ 1:1 注2 |
古代の習慣と法律によれば、奴隷は主人によって買い取られた者であり、主人は彼に対して絶対的な権利を持っていて、殺すことができるほどでした。パウロはそのようなキリストの奴隷でした。この言葉の動詞形は、本書で何回か使われています。一つは「奴隷として仕える」(6:6)、「仕える」(7:6,25.9:12.12:11.14:18.16:18)と訳されています。もう一つは、「奴隷とされる」(6:18,22)と訳されています。名詞形である「奴隷状態」(8:15,21)は、「奴隷」と同じ語根です。 パウロがこの言葉を用いたのは、彼が自己任命の使徒でも主に雇われた者でもなく、神に買い取られた者であり、天然の命においてではなく再生された命において神に仕え、神の民に供給する者であったことを示しています(参照,出12:44.21:6.マタイ20:26のノート1.マタイ25:14のノート3.ガラテヤ6:17のノート1)。 |
ローマ 1:1 注5 |
「召された」は、立てられたという意味を含んでいます(参照,Iコリント12:28)。 |
ローマ 1:1 注6 |
すなわち、遣わされた者(参照,Iコリント9:1のノート3の第二段落)。 |
ローマ 1:1 注9 |
文字どおりには、喜ばしいおとずれ、良い知らせ(9,16節.2:16.10:16.11:28.15:16,19.16:25)。本書の主題である神の福音とは、キリストが復活の後、その霊となって、信者たちの内側に生きられることに関するものです。これは、四福音書に啓示されたキリストよりもさらに高く、さらに主観的です。福音書では、キリストが受肉してから、死んで復活するまで、弟子たちの間で肉体をもって生きておられたことを啓示します。ところが本書は、キリストが復活して、命を与える霊となられたことを啓示しています(8:9―10)。彼はもはや信者たちの外側のキリストだけではなく、信者たちの内側におられるキリストです。ですから、本書の福音は、今や信者たちの中に主観的な救い主として住んでおられる方の福音です。 |
ローマ 1:1 注8 |
あるいは、福音のために。福音の宣言(Iテモテ2:7.IIテモテ1:11)、福音の弁明と立証(ピリピ1:7)を含みます。 |