出典 |
フットノート |
ローマ 1:5 注3 |
この時代、恵みの時代における神の唯一の戒めは、人が御子、主イエスの中へと信じることです。御子の中へと信じる者はみな救われ、信じない者はみなすでに裁かれています。なぜなら、その者は彼の中へと信じないからです(ヨハネ3:18)。聖霊は、主の中へと信じない、神の唯一の戒めに従わないということで、世人に自らを責めさせます(ヨハネ16:8―9)。わたしたちは主の中へと信じる時、信仰の従順を持ちます。そしてその結果は、恵みと平安です(7節)。 |
ローマ 1:6 注1 |
神がわたしたちを召されるのは、わたしたちをキリストの中にもたらして、キリストのものとするためです。神の全豊満は、キリストの中にあります(コロサイ2:9.1:19)。わたしたちは、キリストの中にもたらされて、キリストのものとなる時、神の全豊満にあずかります。わたしたちは彼の満ちあふれたものから、神のものすべてを受け、しかも恵みの上にさらに恵みを受けました(ヨハネ1:16)。このことは、本書の初めの八つの章で詳細に取り扱われています(参照,8:9)。 |
ローマ 1:7 注1 |
2節(2節)のノート3を参照。 |
ローマ 1:7 注2 |
恵みは、わたしたちの享受としてのキリストにある神であり(参照,ヨハネ1:14,16―17.ローマ5:2のノート2と17節のノート1)、それは源です。平安は、キリストにある神をわたしたちが享受した結果(ヨハネ16:33)、流れ出たものです。 |
ローマ 1:9 注2 |
神の霊ではなく、パウロの再生された霊です。この霊は、心、魂、思い、感情、意志、天然の命とは違います。キリストとその霊は、信者たちの再生された人の霊の中で、信者たちと共におられます(IIテモテ4:22.ローマ8:16)。本書でパウロは、わたしたちのすべて(2:29.8:5―6,9)、わたしたちの持っているすべて(8:10,16)、わたしたちが神に対して行なうすべて(9節.7:6.8:4,13.12:11)が、この霊の中でなければならないことを強調しました。パウロが神に仕えたのは、彼の魂の中で、魂の力と能力によってではなく、彼の再生された霊の中で、内住するキリスト、命を与える霊によってでした。これは、彼の福音の宣べ伝えにおける、第一の重要な項目です。 |
ローマ 1:9 注1 |
ギリシャ語は、「礼拝の中で仕える」を意味します(マタイ4:10.IIテモテ1:3.ピリピ3:3.ルカ2:37)。パウロは彼の福音の宣べ伝えを、単なる働きではなく、神への礼拝と奉仕と考えていました。 |
ローマ 1:12 注1 |
あるいは、慰められる。 |
ローマ 1:14 注1 |
Iコリント第14章11節(Iコリント14:11)のノート2を参照。 |
ローマ 1:16 注2 |
神は信じる者を、神の罪定めや永遠の滅びからだけでなく、彼らの天然の命、自己からも救われます。それは、彼らが聖別され、造り変えられ、聖徒たちと共に建造されて、キリストの一つからだ、すなわち、彼の豊満、表現となるためです(エペソ1:23)。 |
ローマ 1:16 注1 |
どんな障害をも打ち破ることのできる強大な力です。この力は、復活したキリストご自身です。彼は命を与える霊であり、信じるすべての人を救いに至らせます。 |