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出典

フットノート

マタイ 9:21 注2 あるいは、救われる。次の節も同じ。
マタイ 9:23 注1 ここの娘と第8章14節から15節のペテロのしゅうとめは、いずれもこの時代の終わりにおけるユダヤ人を代表しており、主の到来と直接の接触によって家の中でいやされました。これは、この時代の終わりにユダヤ人のレムナントがすべて、主の到来と彼の直接の接触によって、イスラエルの家の中で救われることを示します(ローマ11:25―26ゼカリヤ12:10)。
マタイ 9:25 注1 主は務めの中で、決して群衆を持つことを願われませんでした。第8章18節のノート1を参照。
マタイ 9:25 注2 文字どおりには、目覚めさせられた。
マタイ 9:27 注1 盲目は、内側の視力がないこと、すなわち、神と神に関する事柄を見る能力に欠けていることを象徴します(IIコリント4:4啓3:18)。
マタイ 9:27 注2 千年王国、すなわち修復されたダビデの幕屋(使徒15:16)、メシヤ王国で、ユダヤ人はキリストをダビデの子として認識し、そして彼らの盲目はいやされるでしょう。この事は、キリストをダビデの子として認識した二人の盲人によって予表されています。
マタイ 9:28 注1 その二人の盲人は、会堂管理人の娘(23節)やペテロのしゅうとめ(8:14)と同じように、家の中で主の直接の接触によっていやされました(29節)。
マタイ 9:30 注1 盲人の目が開かれることは、神と霊的な事柄を見る内側の視力の回復を象徴します(使徒9:1826:18エペソ1:18啓3:18)。
マタイ 9:32 注1 悪鬼にとりつかれて口が利けないことは、もの言わぬ偶像を拝むことに基づいており(Iコリント12:2)、神のために語り(イザヤ56:10)、神を賛美する(イザヤ35:6)能力がないことを意味します。
マタイ 9:33 注1 口の利けない人がものを言うことは、霊の中で主に満たされることによって、わたしたちの語る能力、賛美する能力が回復されることを象徴します(エペソ5:18―19)。
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