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出典

フットノート

ローマ 1:17 注1 ヨハネによる福音書第3章16節(ヨハネ3:16)で、神の愛は神の救いの源、動機です。エペソ人への手紙第2章5節(エペソ2:5)、8節(エペソ2:8)で、神の恵みは神の救いの手段です。ここでは、神の義は神の救いの力です。神の義は確固としていて、神の御座の土台であり(詩89:14)、神の王国が建て上げられる基礎です(14:17)。法的に言えば、愛も恵みも揺らぐことがあり得ますが、義は揺らぐことがありません。神の義はなおさらそうです。神の福音の中で啓示されるのは、神の義であって、わたしたちの義ではありません。ですから、福音は、すべて信じる者を救いに至らせる神の力です。
ローマ 1:17 注2 「信仰から」は、信仰が神の義を啓示する源と基礎であることを示します。「信仰へと」は、信仰が神の義を受け入れて保持する容器であることを示します。わたしたちがこの信仰を持っているのであれば、神の義はわたしたちに明らかになり、わたしたちによって保持されるでしょう。
ローマ 1:17 注4 ガラテヤ第2章20節(ガラテヤ2:20)のノート5を参照。
ローマ 1:17 注3 神の義はわたしたちを義とします。それは、わたしたちが神の命を持ち(5:18)、神の命によって生きるためです。このようにして、この命はわたしたちを徹底的に聖別し、造り変えるのです。本書はおもに、わたしたちが義とされること(1:1―5:119:1―11:36)、わたしたちが命を持つこと(5:12―8:39)、わたしたちがこの命によって正常に生きること(12:1―16:27)を取り扱います。この節も、これら三つの点を強調しますから、この書全体の要約と考えられます。
ローマ 1:18 注1 本書は人の堕落で始まります。これは、エペソ人への手紙が、永遠の過去における神の選びと定めで始まるのとは対照的です。そして、キリストの贖い、神の義認、聖別、造り変え、同形化、栄光化と続き、最後に永遠の過去における神の奥義に達します(16:25)。
ローマ 1:18 注2 前の節では、神の義が福音の中で啓示され、信仰へと至ります。ここでは、神の激怒が、人のすべての不敬虔と不義の上に、天から啓示されています。これは、神の義の啓示と神の激怒の啓示の対照を示しています。もともと神の激怒は、人のすべての不敬虔と不義の上に、天から啓示されました。ところが、神の福音が来てから、その光景は一変しました。今や神の義が福音の中で啓示され、わたしたちの信仰へと至ります。
ローマ 1:18 注5 ここの真理とは、宇宙における人と神に関する最初の真実な事柄、最初の実際を言います。この実際とは、神と彼の存在が被造物によって証明されている、という確かな事実です。人が被造物によって神を知ることができるのは明確な事実であって、弁解の余地がありません。この大いなる実際、この大いなる真理は、人に神を知らせ、こうして神をあがめさせ、神に感謝させるはずです(21節)。ところが、人々はこの実際、この真理を、神が喜ぶ義にしたがって、正当に取り扱おうとしないで、神が憎む不義をもって真理を抑え込み、神を知ることを認めませんでした(28節)。こうして、彼らは神をあなどり、拒絶し、神の栄光を偶像に変え(21―23節)、自制を捨てて、とめどもない堕落へと落ち込みました(24―32節)。ですから、彼らは神に見捨てられ、見放されたのです(24,26,28節)。
ローマ 1:18 注4 抑え込むとは、抑圧することを意味します。人類は初めから神の真理を尊ばず、不義をもってそれを抑圧しました。
ローマ 1:18 注3 敵対して、あるいは反対して、を暗示しています。
ローマ 1:19 注1 あるいは、間で。
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