出典 |
フットノート |
ローマ 1:20 注1 |
ギリシャ語はセイオテス(theiotes)で、神の特質(神の本性、あるいは特性)を意味し、神の性質、あるいは実質が外側に現れたものです。これは、コロサイ人への手紙第2章9節(コロサイ2:9)のセオテス(theotes)とは異なります。それは神の神格とパースンを示します。神の性質の特性は、被造物によって証明されることができます。しかしながら、被造物は神の神格とパースンを現すことはできません。イエス・キリストの生けるパースン、神である言、神を言い表した言(ヨハネ1:1,18)だけが、神の神格とパースン、すなわち神そのもの、神ご自身を現すことができます。この章で、使徒パウロは、被造物が神の存在を証明すると語っていますが、証明されたものは、神の特質と特性にすぎません。コロサイ人への手紙第2章9節(コロサイ2:9)で、彼は神の化身であるキリストについて語っており、そこで表現されているものは、神たる方、神のパースン、すなわち神ご自身です。 |
ローマ 1:20 注2 |
人は、神が創造された見える事柄を観察することによって、神の見えない事柄を認めることができます。神の永遠の力と、神の内在的性質を表す神性はいずれも、神の造られた物において現されています。例えば、宇宙に満ちている光は、光が神性であり、神聖な性質の神聖な特質であることを示します(ヤコブ1:17)。美や命も同じです。 |
ローマ 1:21 注1 |
パウロがこの章で、神の創造と人の段階的な堕落について提示しているのは、疑いもなく、創世記第1章から第19章と、旧約のその後の書に記録されている歴史的事実に基づいています。まず19節から20節(19―20節)は、神の創造について語っています。次に21節から25節(21―25節)は、アダムの堕落と、洪水の時代からバベルにおける偶像礼拝に至るまでの堕落していく様子を扱っています。26節から27節(26―27節)はさらに進んで、バベルからソドムの恥ずべき情欲に及び、28節から32節(28―32節)は、ソドムから旧約時代におけるあらゆる種類の悪について述べています。 |
ローマ 1:21 注2 |
むなしい推論は、堕落した人類の日常生活における基本的要素です(参照,エペソ4:17のノート3)。 |
ローマ 1:23 注1 |
神の栄光を他のものに変えるとは、彼を捨てて偶像を造ることです。 |
ローマ 1:24 注1 |
すなわち、見捨てる。同じ表現が、26節(26節)と28節(28節)でも用いられています。人が神を見捨てた結果、人は神によって見捨てられます。人が神を見捨てることによって、神はその人を見捨てざるを得なくなるのです。この章によれば、神は人々を三つの事柄に渡されます。不潔(24節)、恥ずべき激情(26節)、認めようとしない思い(28節)です。そのように見捨てられた結果は淫行です(24,26―27節)。それは、支配し制御する原則を破って、混乱をもたらします。あらゆる種類の邪悪が、この淫行から生じます(29―32節)。 |
ローマ 1:25 注1 |
神の真実は、神の実際です。神は真実で実際です。彼であることは、実際です。しかし偶像は虚偽です。何であれ偶像であるものは、偽りです。 |
ローマ 1:32 注1 |
あるいは、第8章4節(8:4)にあるように、義の要求、すなわち、神の義なるみこころの要求です。ですから、この句は、神のみこころから出る裁き(啓15:4)、裁きを伴う定め、すなわちおきて(2:26.ルカ1:6)、神の要求に応じる義なる行為(5:18)のことも言っています。 |
ローマ 2:1 注1 |
「論断する」、「批評する」。以下の節も同じです。 |
ローマ 2:2 注1 |
神の永遠の裁きのことを言っています。それはおもに、大いなる白い御座で行なわれます(啓20:11―15.参照,ローマ14:10のノート1)。 |