出典 |
フットノート |
ローマ 2:2 注2 |
ここと8節(8節)、20節(20節)の「真理」は、創造を通して啓示されている実際と、聖書が啓示している実際、すなわち、神、宇宙、人、人と神との関係、人と人との関係、神に対する人の責任に関するものです。それはまた、人の実際の情況と状態のことも言います。すなわち、6節から15節(6―15節)に示されているように、神が人を裁かれる条件です。これらの条件にしたがって、神は彼の裁きを義によって執行されます。 |
ローマ 2:3 注1 |
2節(2節)のノート1を参照。5節(5節)と16節(16節)も同じ。 |
ローマ 2:7 注1 |
7節から10節(7―10節)は、神の永遠の裁きの基本的な条件です。 |
ローマ 2:8 注1 |
2節(2節)のノート2を参照。 |
ローマ 2:9 注1 |
文字どおりには、魂。 |
ローマ 2:12 注1 |
文字どおりには、律法の中で。すなわち、律法の領域の中で。 |
ローマ 2:14 注1 |
神が創造された時の人の性質は、もともと善であり、神と神の律法に符合していました。それは堕落によって毒されたとはいえ、この善の性質は、人の内側に残っています。ですから、もし人が自分の本来の性質にしたがって生き、律法の事柄を天性のまま行なうなら、彼の中にある悪は制限されるでしょう。 |
ローマ 2:15 注1 |
人の良心は、神が造られた人の本性と符合します。そして神が何を義とされ、神が何を罪に定められるかを、人に知らせることができます。 |
ローマ 2:17 注1 |
この区分は、特に宗教的な人たちに対する神の罪定めを取り扱っています。パウロはまず、宗教的な人々を代表するユダヤ人のあわれむべき状態を指摘します。彼らには、むなしい宗教的儀式、文字、知識があるにすぎません。彼らは神を、彼らの実際として持っていないのです。 |
ローマ 2:17 注2 |
ユダヤ教の神に対する認識は、ただ外面的、客観的であって、内面的、主観的ではありません。これは人の宗教のむなしさを示しています。 |